その21.乙女 (ヒカル 32歳~34歳)
5.前斎宮の梅壺が王妃に、アンジェの大宮邸での合奏
冷泉王が十四歳になり、国境周辺がキナ臭くなって来たこともあって、今のうちに三貴婦人の中から王妃を選んでおくことになりました。
「王さまの母である藤壺女院も『梅壺こそ私に代わる後見役に』と認めておられたのだから」とヒカルは梅壺を推挙しました。それでも「現王の母は王族で、王妃も王族からと続くのはどうであろうか」と異を唱える世間の人もいましたし、「アンジェリクがどなたよりもまず先に貴婦人として上がられたのに、どうして」などと内々で、こちらでもあちらでも関心を寄せ期待している人々は気掛かりにしています。
かって兵部卿宮と呼ばれていた藤壺の兄は今は式部卿となっていて、冷泉王の叔父として以前にも増して重んじられていました。式部卿はかねてからの意向どおり娘を貴婦人として王宮に上げ、梅壺、アンジェリクと王妃の座を争っていました。「同じことなら、母方の血縁が濃い御方を女院に代る後見役にすえるのがふさわしいのでは」ととりどりに競争しますが、結局、「王妃と同格の中宮でおられた藤壺女院の代りをするのだから、『中宮』の形で」とのヒカルの主張が勝って、梅壺が選ばれました。世間では前斎宮を「王妃」とも「中宮」とも呼ぶようになりましたが、母メイヤン夫人に引き換え、運勢が勝っているのを世間の人々は驚いています。
王妃選定に合わせて、ヒカル内大臣は太政大臣に、アントワン大将が内大臣に昇格しましたが、ヒカルは内政・外政を担う重責をアントワンに委ねました。アントワンは性格が非常にまっすぐで威風堂としていて、心配りも堅実、学問もしっかり修得しています。ヒカルがサン・マロに下る前の韻隠しの遊びではヒカルに負けはしましたが、政務には賢明です。
幾人かの女性の間に子供が十人余りいます。息子たちは一人前になると次々と立身して、ヒカル一族に劣らない繁栄をしています。娘はアンジェリクと同腹の妹マリーに加えて、王族出自の女性との間に一人いました。その娘は身分の高さではアンジェリクに劣ってはいませんでしたが、母君が地方行政を監督する官位三位の次席大臣(大納言)の正妻となって数多くの子供を産んでいました。「我が娘を異父兄弟と一緒にさせて継父に養育を任せてしまうのは面白くない」とアントワンは引き取って、母の大宮に預けました。アンジェリクよりは軽い扱いをしていましたが、人柄も容貌も美しい少女でした。
ヒカルの若君はこの少女と同じ所で祖母の大宮の手で育てられましたが、二人が満九歳を過ぎてから居場所を別々にされました。少女の父の内大臣が「二人は睦まじい間柄であろうが、男子には気を許してはいけないものだ」と意見して二人を遠ざけてしまったからです。それでも若君は子供心なりに恋しいと思うことがなかったわけでもなく、ちょっとした花や紅葉の時節や人形遊びの付添いでも熱心にまつわりついて、自分の恋しい気持ちを示しますので、二人が並々ならぬ思いを交わしているのが際立ち、少女の方も恥かしがって隠れるようなことは今でもしないでいます。
世話役の者たちも「どうこう言っても、まだ幼い者同士であるし、年中見馴れている間柄でもある。急に二人をどうにか引き離して困惑させても」と見ています。女君の方はさほど気にしているようではありませんが、少年の方はまださしたる年齢でもないように見えるのに、身の程しらずに、一体、どんな関係になってしまったのでしょうか。
若君が官吏養成校の入試準備でシセイ城に籠もるようになったので、さぞかしもどかしい思いをするようになったのでしょう。まだ未熟ながら、先の上達が期待できる可愛らしい筆跡で、女君と書き交わした手紙などがまだ子供心のせいか、不注意で落ち散らしている時もあるので、若姫付きの侍女たちの中には、それとなく承知する者もいたのですが、「こうしたことをどうして人に話せましょうか」と見て見ぬふりをしているのでしょう。
太政大臣と内大臣の昇進を祝う、あちこちの饗宴なども終って、別の急ぎの公事もなく物静かになった頃、時雨が降って荻(おぎ。Silver Glass, Herbe de Pampas)の上風もまんざらでない夕暮れ時、大宮が住むアンジェ城を内大臣アントワンが訪れました。若姫を呼んでハープなどを弾かせます。大宮は色々な楽器を上手に扱いますので、若姫にそれらの技を教え込んでいます。
「リュートを女性が弾くのは小憎らしいようですが、はっきり澄んで聞こえます。今の時代で正しい弾き方を伝えている人はめったにいなくなりました。強いて言えば某の親王とか、王籍から臣籍に下った誰それですかな」とアントワンはあげてみます。
「女性たちの中では、太政大臣がモントワールの山里に隠し置かれている人こそ、非常に上手だ、と聞いております。リュートの名手を輩出した家柄ですが、子孫の代になってブルターニュの田舎に引き籠って長くなる人物の娘が、どうしてそう上手く弾くのでしょうか。あの太政大臣もことのほか格別なものに感じて、褒める折々があります。他の技芸と違って、音楽方面の才能は他の楽器と幅広く合奏して、あれこれの音色と通わしていきながら上達していくものです。それなのに独習で上手になった、というのは珍しいことですな」などと話しながら、母宮に演奏を勧めます。
「もう弦を押さえることもままならぬようになりました」と大宮は言いながらも、面白く巧みに奏でました。大宮は「そのモントワールにお住みの女性は幸せに添えて、何とも不思議なほど聡明な人のようですね。長い間、女の子ができなかったヒカル殿のために女児をお生みになりましたが、その女児を手元に置いてみずぼらしい育ちにせずに、高貴な御方に譲られた、というのは感心する女性だ、と聞いています」などと話します。
「女というものは心がけさえよければ、大事に扱われるものですな」とアントワンは他人の噂話をしていましたが、ふいに「アンジェリクをそう悪くもなく、何事においても人に劣らないように育てたつもりでしたが、思わぬ貴婦人に先を越されてしまう運命になってしまい、つくづく世の中は思い通りにいかないものだ、と思い知りました。この若姫こそ、何とか望むどおりにしたいと考えております。王太子も六歳を過ぎて、成人式がもうまもなくとなっていますので、人知れず王太子の正后にさせようと心がけております。ところがまたしても、今お話しされた幸せ者が生んだ娘が后候補として追い縋って来ました。その娘が王太子の貴婦人として王宮に上がったら、競い合う者はいなくなってしまいます」と溜息をつきます。
「いえいえ、そうとは限りませんよ。亡くなった夫の太政大臣も『このアンジュー家から王妃が出てこないことがありえようか』と信じて、アンジェリクの件でも何くれとなくお世話をしました。太政大臣が存命でしたら、アンジェリクが王妃候補からはずされる、という歪んだこともなかったでしょうに」と大宮はこの件に関しては現太政大臣のヒカルを恨めしく思っています。
姫君はまだ子供っぽく、可愛げな様子でチェンバロ(ハープシーコード)を弾きますが、髪の具合や前髪の生え際などが高貴で清新なのをアントワンがじっと見守っていると、姫君は恥らって、少し横を向いた顔つきが美しい。鍵盤を押す手つきが巧妙に作った人形のように思わせるのを祖母の大宮も限りなく愛しいと感じます。姫君は調子合わせを少しばかりした程度で手を置きました。
内大臣はハープを引き寄せ、音調を高めてかえって現代風に聞える曲を、さすがに名手らしく自由闊達に弾くのが面白い。前庭のマロニエの葉がほろほろと一つ残らず散っていきますが、年老いた侍女たちは間仕切りの後で頭を揃えて、涙を落としながら聴き入っています。
「風の力がほとんどないのに 微風で葉が落ちていく 勇者が門前で泣き ハープの音色も果てようとしている」とアントワンが吟じて、「この歌に出て来る『ハープの音色』ではありませんが、不思議に物哀れな夕べですね。もう一度弾いてみなさい」と促すと、姫君は「秋風の歌」を弾き出し、それに合わせて歌うアントワンの声が興味深いので、皆一様に「内大臣も非常に見事です」と感銘します。
するとそれに一層興趣を添えようかのように、ヒカルの若君がやって来ました。大宮は「こちらへいらっしゃい」と姫君とは間仕切りで隔てて、室内に入れました。
「最近はめったにお目にかかりませんね。あまりに学問一途になるのも、いかがなものでしょう。学才がありすぎるのも味気ないことは、太政大臣もよくご承知のはずでしょうに。そんなに厳しく学ばそうとされるのは太政大臣にも何らかの方針があるからでしょうが、あまり引き籠っているのはお気の毒ですな」とアントワンは話して、「時々は別のこともなされたら。笛の音にも古くからの思いが伝わっているのですよ」と笛を若君に渡しました。
若君が大層若々しく、朗らかに音を吹きたてると、中々面白いので、アントワンはハープをしばらく止めて、笛に合わせて大袈裟ではないように静かに手拍子を打ちながら
(歌)衣替えをしましょう 私の衣は野原や篠原に生えている 荻(おぎ)の花を摺りつけた衣ですよ
などの歌謡を吟じました。
「太政大臣もこうした管弦の遊びを好まれて、多忙な政務の息抜きにされていますよ。本当に味気ない人生ですが、気が晴れるようなことをしてこそ、過していきたいものですな」などと言いながら、アントワンは酒盃を傾けているうちに暗くなってきたので、灯火を灯させてスープや菓子などを誰も誰もが食します。
その後、姫君を別の部屋に移しました。アントワンは強いて若姫と若君とを引き離すようにして、「娘のハープの音色さえ聞かせまい」と近頃は無闇に二人を隔てるようにしていますが、「そのうち気の毒なことが起きてしまわないか」と大宮の近くに仕える老侍女たちは囁きあっています。
6.侍女たちの陰口に、内大臣、大宮を恨む
内大臣は帰宅するふりをして、昔からの情人でいる侍女の部屋に忍んで行きました。しばらくしてから、その部屋から身を細めて廊下を歩いていると、ひそひそ話をしているのを訝しく感じて、立ち止まって耳をそばだてると、自分のことを話しています。
「内大臣は賢そうにされていますが、やはり人並みな親ですね、そのうち具合が悪いことが起きてしまうでしょうに。『子を知っているのは父親だ、家臣を知っているのは主君だ』と古の賢者が語っていますが、作り話でしたね」などとこそこそ話しています。
「情けないことだ。そう言えば、勘づかないことでもなかったが、まだ幼い者同士と思って油断していた。まったく世の中は辛いものだ」と仔細をすっかり悟ってしまい、音もたてずにその場を立ち去りました。
前駆の先払いの威厳ある声が聞えてきて、「内大臣は今頃お発ちになったのですね。どこに潜んでおられたのでしょう」、「いまだに浮気ごとをされておられるのですね」と侍女たちが言い合っています。先刻、ひそひそ話をしていた侍女たちは、「とても香ばしい匂いが漂って来たので、てっきり若君が通られたものと思っていました」、「ああ恐ろしい。私たちが陰口を言っていたのをお聞きになったかもしれませんね」、「厄介で煙たい気性をお持ちですから」と心配しあっています。
自邸のソーミュール城へ戻る道中で、アントワンは「何て口惜しいことだ。二人の仲は悪い縁とは言えないものの、世間の人も『従兄弟同士としても近すぎる間柄だ』と言うことだろう。太政大臣のごり押しでアンジェリクが王妃になれなかった無念も、『アンジェにいる若姫を王宮に上げて、うまくいけば王太子の正后にさせられたなら、見返すことができる』と期待していたのだが、恨めしいことになってしまった」と残念がります。大概において、太政大臣との仲は昔も今も親密でしたが、こうした方面では昔から張り合ってきました。その名残りがまだあることを思い出すと面白くなく、寝覚めがちに夜を明かしました。
「大宮も二人の仲に気付いていただろうに、無性に可愛がっている孫の二人だからと放任していたのだ」と侍女たちが話していた陰口を思い出して、大宮を恨めしく思います。内大臣は少し男気の強引さがあり、きっぱりとした性格でしたから、我慢できません。
それから二日ばかりして、アントワンはアンジェ城を再訪しました。頻繁に訪れて来るのを大宮も満足で嬉しく思っています。修道女風の前髪で額を整えて、麗しい礼服の長着を着こんでいますが、我が子ながらこちらの方が気詰まりになるほど貫禄がある人柄でしたから、直接の対座はせずに間仕切りを隔てて面会します。
内大臣の機嫌は悪そうです。
「こちらに伺うのも体裁が悪く、周りの人たちがどういった目で私を見ているのか、と気がひけてしまいます。私はしっかり者ではありませんが、生きている限りは始終伺って、水臭い隔てはないように、と気をつけております。ところが物の道理が分からない者に関しましては、母上を恨めしいと申さねばならないことが出てまいりました。こんな風に思ってはいけない、と考えることもありますが、一向に心を鎮めることができません」と涙を拭いますので、化粧をした大宮の顔色が一変して、ギョッと目を大きくさせました。
「一体、どういったことなのでしょう。こんな歳になって、そのような疑心を受けるとは思ってもおりませんでした」との返答に、アントワンはさすがに気の毒に思いながらも、「母上を信頼しまして幼児を預けました。自分自身は娘が幼い頃から中々出逢うことができずにいました。さしあたっては間近にいるアンジェリクを王宮に上げたものの、期待通りにできなかったことを嘆いておりました。それでも、預けている別の娘を母上が立派に育て上げてくれるだろう、と期待しておりました。ところが思いもしなかったことになってしまいましたので、非常に口惜しい思いをしております。
確かに相手の者は天下に並ぶ者がいないほど優秀な学生ですが、一緒に育った、あまりに近すぎる従兄弟同士なので、世間の人たちも軽率なことだと見なすでありましょう。たいした身分ではない者たちの間でも、こうした関係は良いことではないと見られていますから、相手のためにもみっともないことです。血縁関係とはほど遠い、堂々としたまたとない家と縁組をして、花やかにもてはやされてこそ、めでたいのです。従兄弟同士の近い血縁でありながら、普通ではない仲のようになるのは、太政大臣も不快に思われることでしょう。たとえそうなるとしても、一応、状況を知らせて、格別な取り計らいをして少しは奥床しさがある格式をつけるなら、まだしもというものです。まだ幼い者の勝手に任せたままで放って置くのは遺憾に思います」と言いきりますが、大宮は夢にも知らなかったことなので、呆れてしまいます。
「そうおっしゃるのも道理ですが、あの二人にちょっとでも、そうした下心があったとは知りませんでした。『本当にとても残念なこと』というのは誰にもまして私なのですから、嘆きたいくらいです。貴方が私も二人と一緒くたにして、罪を押し付けるのは恨めしいことです。孫娘を預かってから、特に気を使って貴方が思い至らなかったことでも、人並み以上に仕込んでみようと、人知れず配慮をして来ました。まだ一人前でもない二人を、可愛さに分別をなくして急いで一緒にさせようとするなどは、思いも寄らなかったことです。それにしても、誰がこんなことを話したのでしょうか。よからぬ者の言葉を信じて、それを膨らませて思い込んでしまうのは味気なく、空しいことですし、孫娘の名を汚してしまいましょう」と弁解します。
「あてにならないことを、どうして申しましょう。若姫に仕えている人々も、蔭では皆、せせら笑っていることでしょう。非常に口惜しくてならず、私の心中は穏やかではありません」とアントワンは言い放って大宮の部屋を出ました。
事情を知っている侍女たちは内大臣を気の毒がります。あの晩、ひそひそ話をしていた侍女たちはましてどぎまぎしてしまって、「どうしてあんな内緒話をしてしまったのだろう」と後悔し合っています。
若姫はそんなことを知らずにいましたが、アントワンが部屋を覗いてみると、とても可憐な様子なので、いじらしく見つめてしまいます。
「まだ子供だ、と言うものの、こんなに無分別だとは知らずに『何とか人並みの将来を』と思い願っていた私こそ、誰よりも愚かだった」と言いながら、若姫の乳母たちを責めますが、乳母たちは弁解もできません。
「このようなことは高貴な王女にも自然とありがちなこと、と古い小説でも読んだことがありますが、二人の気配を承知して、しかるべき隙を見つけて橋渡しをする人がいるのでしょう。幼い頃から明け暮れ一緒に育って、長い年月馴染みあっていたのですから」、「何と申しても、まだ幼少のことですから、大宮が取り決めておられる枠を越えてまで引き離してしまっても、と気を許してほっておいていました。一昨年あたりから取り締まりがはっきりと厳しくなって来てはいましたが」、「子供だからと言いましても、色好みな振る舞いをして、どうにかして大人の真似をしようとする人もおりますが、あの若君は夢にでも乱れた所がないので、全く思いも寄りませんでした」とめいめいが弁明します。
「よし、そうならば当分の間は内密にしておこう。隠し通すことはできないだろうが、せいぜい気をつけて『事実無根だ』と打ち消しておきなさい。早々に娘をソーミュール城へ移すことにする。大宮の心持ちに納得できなからな。お前たちも、よもやこうなると予想もしていなかったであろう」とアントワンが告げますと、侍女たちは大宮を気の毒に感じながらも、「内大臣が若姫の将来のことを考えた上で喜ばしい判断をされたのだ」と解釈しました。「それは素晴らしいお考えです。継父に当たる次席大臣への聞こえもありますから。めでたいご縁と言っても、何を好んで臣籍身分の家系の人との縁組に望みをかけたりしましょうか」と答えました。
姫君はまだまだ幼げな様子で、父親があれこれ意見をしても理解した風でもないので、アントワンはため息をしてしまいます。「どういうふうにして、傷ものにさせずに済ませることができるだろうか」と大宮をつんぼ桟敷にして、頼れる数人の侍女と秘かに相談します。
大宮は自分が養育した二人の孫を愛おしく思っていますが、中でも男君への愛おしさが勝っているのでしょう。若君がそうした恋心を抱くようになったことも可愛く思っています。内大臣が情愛もなく、「もってのほか」と言い放ったことを「何もそんなことがありましょうか。元々、内大臣は若姫をさほど大切にしていたわけでもなく、『これほどまでに育て上げよう』というつもりもなかった。私がこうして大切に育て上げたからこそ、王太子との縁組も思い寄るようになったのではないか。その希望をはずして、臣籍の者との縁組を結ぶとすると、若君より勝っている人が他におりましょうか。容貌や態度を始めとして、若君と同等の者が存在するでしょうか。若君だったら、ここの姫君よりもっと挌上の女性が相応しい、とすら感じているのに」と、大宮の若君への贔屓目は姫君に対するよりも勝っていますから、内大臣を恨めしく思っています。大宮の内心が内大臣に知れてしまったなら、内大臣は前にまして母宮を恨んでしまうことでしょう。
7.神聖ローマ帝国戦争の始まり。ミラノ公国を失う。
そうこうしているうちに、神聖ローマ帝国とイングランドの反フランス同盟化が進展していきました。両陣営は七月にイングランド領のカレーで会議を実施した後、八月に入ってから帝国軍がフランス北東部への侵攻を始めました。次いでカール五世がヘンリー八世とブルージュ同盟を結び、帝国軍は(Bouillon)公国と国境を接するメジエール(Mézières)を包囲してしまいました。
ピレネー山脈を挟んだナヴァル王国とスペイン王国の攻防ではナヴァル王国に組みするフランス軍がボニヴェ(Bonnivet)将軍の活躍で低バスク地方のフォンタルビ(Fontarbie)の占拠に成功はしたものの、カール五世・ヘンリー八世同盟の後手後手に回された感はいなめません。
ブルボン公国ではブルボン公后の死後、夫のシャルル・ブルボン公のカール五世への接近が囁かれていましたが、あろうことかブルボン公とカール五世の妹との再婚話が進んでいることが明らかになりました。ブルボン公の義母であるムーラン太公后は後継ぎがいないまま娘が亡くなる以前から、義理息子とあまりそりが合わずにいましたが、公国の後継者問題でブルボン公と揉めていることも表面化していきました。
義理息子の敵国の皇女との再婚話を知ってムーラン太公后は激怒します。桐壺王の摂政役を担っていた三十一年前、カール五世の祖父マクシミリアン皇帝とブルターニュ公国の紫陽花公女の再婚話をぶち壊して、桐壺王と紫陽花公女の結婚に結びつけた張本人の一人でしたから、ムーラン太公后は緊迫したその時を思い起こしつつ、再婚話を許すことなどはありえません。
「もし再婚話の噂が本当だったなら、ブルボン公国はサン・ルイ王の死後、王国から分岐したのだから、この際、フランス王国に返還してしまった方が良いのでは」とフランス王家の出自である太公后は太政大臣や内大臣と頻繁に交信するようになり、太公后とブルボン公の対立はフランス王国対帝国・スペイン王国の対立の構図になって行きました。
十一月に入ってから、帝国軍はついにミラノ公国収奪に成功し、帝国の後盾でスフォルツァ家がミラノ公国に復帰しました。十一月末にはフランドル地方のトゥルネイ(Tournai)が帝国軍に開城せざるをえなくなってしまいました。カンブレイ条約でイタリア戦争が終結した後、四年半あまり続いた束の間の平和な日々は幕を閉じ、帝国との本格戦争が始まりました。
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