その19.薄雲 (ヒカル 30歳~31歳)
1.サン・ブリューの姫君養女となり、着衣の式と実母の後悔
冬になって行くにつれて、ル・ロワール川に面した住まいでの暮らしは心細さがひどくつのって、落ち着かない気分の日が続きました。ヒカルも見かねて、「やはり、こうしていては毎日を送ってはいけないでしょう。シュノンソーの近くに移る決心をなさいなさい」と勧めますが、
(歌)住まいを変えてみたところで お待ちしていても訪れがないのなら 辛いことばかりが多すぎて
という歌があるように、「試しに様子を見てみたところで、身も蓋もない心地がするだけだろうし」と思い悩んでしまいます。
「それなら、この姫君だけでも。このままにしておくのは具合が悪いことだし、若姫の将来に期するところもあるので、もったいないことだ。シュノンソーの紫夫人も若姫に逢いたがっているので、しばらくの間馴染ませて、満三歳の着衣式も内密ではなく、公けに行おうと思っている」と真剣に話します。
サン・ブリュー上は「きっとそんな考えをお持ちではないだろうか」とかねがね懸念していましたので、はっと胸が締め付けられてしまいます。「こと改めて高貴な御方に迎え入れられたとしても、世間の人は出自を漏れ聞いて、かえってのびのびと暮らしていくことが出来ないことも予想できるし」と手放し難い思いでいます。
「それも理にかなってはおりますが。『紫上を安心してまかせる人ではない』などと疑わないでください。あの人と一緒に暮らすようになってから、長い年月が経ちますが、自分の子供が出来ず張り合いがないせいか、自分とさほど歳が違わぬ前斎宮の梅壺の親代わりの世話もしっかりとやり遂げてくれました。ましてこんなに憎みようもない児なら、いい加減に放っておけない性分です」などとヒカルは紫夫人の有りようが申し分ないことを説明します。
「確かにヒカル殿がお若い頃に、『どれほどの女性であったなら、正妻としてお定めになるだろうか』と人伝ての噂で聞いたことがあるが、そんな浮気性な心が静まったのも、紫上との宿縁が通り一遍のものではなかったからだろう。きっと誰よりも抜きん出た女性に違いない」と思いやって、「私のような物の数にも入らない者が立ち並んでいくことなど考えられないし、そんな所へのこのこと入り込んでいったところで、『気に食わない』と一蹴されてしまうだけだろう。私の身はどっち道、同じようになるだろうが、生い先が長い我が子は結局、紫上のお心にお任せすべきなのだろうか。そうだとすれば、まだ物心がつかないうちに譲ってしまうべきなのだろうか」と自問自答します。
「でも手放した後が気になってしまう。所在なさを慰めてくれるすべを失ったら、どうやって暮らしていけるだろうか。何の理由があって、ヒカル殿がたまさかにでもお越しになってくれるだろうか」などとあれこれ思い悩んでいると、際限もなく辛く悲しくなります。
母の修道女は思慮深い人でしたから、「人生は思うようには行かないものですよ。我が子に逢えないのは本当に胸が痛いことですが、最後は我が子にとって『何が最善となるか』を考えなさい。内大臣も浅い思いで申し出ているわけではありません。もう信頼して譲ってあげなさい。王さまの子供であっても、母方の血筋で身分の違いが生じてしまいます。内大臣も世に二つとない天分をお持ちなのに、王族ではなく臣下の身分に下られたのは、外祖父の故大納言の位が一刻み劣っていたので、一段低い貴婦人の子と言われてしまう弱みがあったからです。ましてあなたは常人の身分なのですから肩の並べようもありません。
それに王族や大臣の娘の子といったところで、娘さんの実家の勢いがさしあたって劣っている場合には、父親の扱い方も同等ではなくなってしまいます。それに加えて、高貴な出自の女性に女の子が生まれてきたら、若姫は蹴落とされてしまいます。身分相応でいて、親からひとかどに大切に育てられた女性こそ、やがて世間に出てからも軽んじられない要因になるのです。
着衣の儀式にしても、こんな人里離れた場所で精一杯のことをしたところで、何の見栄えがありますでしょう。とにかくあちら様にお任せして、立派にさせていただく様子を見ることにしたら」と言い聞かせます。思慮分別がある年功者や占い師に判断してもらっても、「やはりお譲りした方がよいでしょう」という答えばかりですので、気弱になっていきます。
ヒカルも引き取る積もりでいながらも、サン・ブリュー上の気持ちを察すると気の毒になって、無理に切り出すことはありません。手紙で「着衣の儀式の件はどうしましょうか」と尋ねるだけでした。
「何事につけても甲斐性がない私のような身と一緒にいたら、本当にこの先々が可哀想だと思うものの、人中に交じっていって、何かにつけ物笑いされてしまったなら」とのサン・ブリュー上からの返信を読んで、ヒカルは不憫に感じながらも、着衣式の吉日を選んで、内々に用意すべきことを申し付けます。
サン・ブリュー上は我が子を手放してしまうのが今もひどく悲しいのですが、「我が子のためになるなら」とじっと堪えています。「乳母のあなたにすら別れることになってしまいました。明けても暮れても物思いや退屈している時でも、あなたと一緒に語り合って慰めることができたのに、頼りにする人がいなくなってしまうのがひどく辛い」と言って涙を流します。
マリアンヌも「これも宿命というものでしょうか。ひょんなことからお目通りをいただいてから、この年月のお情けのほどは忘れ難く、恋しい思いが続くことでしょう。でもお逢いできないままでいることはよもやありえないことです。いつかは再会できることを待ち望んでおりますが、しばしの間でも別れ別れになって、思いもよらなかった方々と交わっていくのが心配でございます」などと泣き合いながら過しているうちに、十二月に入りました。
雪や霙(みぞれ)が降る日が多く、サン・ブリュー上は心細さが募るばかりです。「不思議になるほど、どうしてこう様々な物思いをしてしまう身になってしまったのだろう」と歎きながら、いつもよりも姫君を愛撫しています。空がかき暗くなって、雪が降り積もった朝、過ぎ去った日々や行く末のことをあます所なく思い続けます。普段は端近くに出ることはありませんが、泉から湧き出る流れの水際に張った氷などを見つめる、なよなよとした白い衣服などを重ね着している容姿や頭の恰好、後姿などは、「この上もない御方と聞える女性でも、これほどのことはないだろう」と侍女たちは見ています。
落ちる涙をかき払って、「こんな日はましてどんなにか物寂しいことになるだろう」を痛々しげに歎きながら、
(歌)雪が深くて 深山への道が分からなくなっても 足跡が絶えないように 手紙だけは絶えずしてください
と詠むと、マリアンヌも泣きながら、
(歌)雪を降らす雲が切れない 中央山塊(Massif Central)の山奥までも 心が通う手紙を 絶やさずに送ります
と返歌をして慰めます。
この雪が溶けた時分にヒカルが訪れて来ました。「さては若姫を迎えに来られたのか」と思うと、胸が砕けそうですが、「誰のせいでもないことだ」と思い聞かせます。「自分の心持ち次第で拒むことは出来るし、ヒカル殿も無理強いはされないだろうが、何とも味気ないことだ」と感じるものの、「拒んでしまうのも軽率なようであるし」とじっと思い直します。
ヒカルは眼の前にいる非常に可愛らしい我が子を見ていると、「この子とはいい加減には考えられない宿縁があるのだろう」と思います。今春から伸ばしている若君の髪は肩の辺りで切り揃えていて、ゆらゆらと揺れるのが見事でした。顔立ちや目元は匂い出るほど美しく、この子を他人に譲ることを思いやる母親の心の闇を推し量ると、ひどく気の毒になって、繰り返し慰めながら夜を明かしていきます。
「まあ、それでも私のような悔しい身分の者の子供ではないように、大事に育て上げてくだされば」と自分に言い聞かせようとしながらも、堪えることができずに泣く気配が可哀想です。
若姫は何のことかも分からずに、すぐに馬車に乗りたがります。馬車を寄せたところに母親自ら若姫を抱いて出て来ました。まだ片言の声がとても可愛らしく、母君のドレスの袖を取って「一緒に乗りましょう」と引っ張るのがたまりません。
(歌)生い先が長い若姫と別れてしまい いつになったら 大きく成長した姿をみることができるのだろう
と言いきれないまま、ひどく泣きますので、ヒカルも「それもそうだ。心苦しいことだ」と歎息します。
(歌)貴女と私の間に生まれた 因縁が深い子です やがては二人して この子を眺めることができましょう
安心していなさい」と慰めます。
「それもそうだ」と気を鎮めようとしても、やはり堪えることができません。マリアンヌと気品がある侍女の少将の二人だけが守り剣と厄除けの人形を手に馬車に乗りました。お供用の馬車に見栄えがよい若い侍女や童女などを乗せて、見送りにつけました。
ヒカルは道中もサン・ブリュー上の辛さを思いやって「何とも罪作りなことをしてしまった」と自省しました。暗くなった頃、シュノンソーに着いて馬車を寄せると、花やかな気配がモントワールとは異なるので、田舎びた生活に慣れた二人は「こんな所に交わっていくのはきまりが悪い」とおじけづいてしまいます。西館の西向きの部屋を若姫用の部屋にして、幼児向きの調度品などが美しげに揃えられています。マリアンヌには西の渡り殿の北側の一室があてがわれました。
若姫は道中で寝入っていましたが、抱き下ろされて眼を覚ましても泣きはしませんでした。紫上の居間に連れていかれて、お菓子などを供されましたが、そのうちあたりを見回して母君が見えないので、いじらしげにべそをかきますので、マリアンヌを呼んで慰めさせたり気を紛らせたりします。
「山里に残された母君の所在無さはどんなにか」と思いやると、ヒカルは気の毒になりますが、紫上と一緒に明け暮れ、自分たちが望むように育て上げていくのが、最も適ったことだ、との気がします。
「それにしても、どうしてだろうか。人からつべこべ言われないように、こちらの御方に子供が生まれていたなら」と悔しく思ったりします。
しばらくの間、若姫はモントワールの人たちを探して泣いたりしていましたが、大体が素直で好奇心も旺盛な性格でしたから、紫上にとても懐いていきますので「この上もなく可愛い子を手に入れた」と喜んでいます。他のことは何もせずに若姫を抱いたり遊んだりして、自然とマリアンヌもお側近くで仕えるようになりました。加えて身分が高く、母乳が出る者も添えられました。
着衣式はさほどには格別な用意をしませんでしたが、それでも世間並みなものではありません。衣裳や飾りつけなどが人形遊びのようで可愛く見えます。普段から明け暮れ、人の出入りが多い邸でしたから、式に招かれた客人たちもそれほど目立ちません。式ではベルトを結んでいる若姫の胸のあたりが一塩美しさを増しているように見えます。
モントワールの方では若姫への恋しさが尽きることがなく、譲ってしまった過ちを嘆いています。あれほど言い聞かせた母の修道女も一層涙もろくなっていますが、若姫が大切にかしづかれているのを聞くと、二人とも嬉しくなります。万事につけ、とりたててお見舞いをすることはしませんが、ただ若姫のお世話をする方々には、マリアンヌを始めとしてまたとない色合いの衣裳を思いつくままに贈りました。
訪問が遠のいてしまうと、「やっぱり」と思わせてしまうのが気の毒なので、内大臣は年が暮れないうちに、こっそりとモントワールを訪れました。ますます寂しい住まいになっていて、明け暮れ大切に世話をしていた愛児を手放してしまった悲しさを思いはかると心苦しくなりますので、手紙などは絶え間なく送ります。紫上は今はもう、恨み言も言わず、可愛い児に免じて大目に見ています。
2.サン・ブリュー上への思いやり
年が変わりました。うららかな空に何の心配ごともないヒカル夫妻の生活はとても幸せです。邸内は磨き清まれ一新されて、新年の挨拶に人々が次々に訪れて来ます。年配の方々は新年七日目の祝いに馬車を連ねてやって来ます。若い王宮人は何の屈託もなく、心地よさげに見えます。次々に続いて訪れる身分が低い人たちも、心中では心配ごとがあるでしょうが、上辺では誇らしげに見える泰平な日々でした。
シセイ城の花散里も好ましい生活ぶりで、望ましい礼儀作法で仕える侍女や童女の姿がきちんとしているように気遣いをしつつ過しています。シュノンソーに近い利点があって、ヒカルものんびりした暇がある時はふらっと訪れて来ることもありましたが、わざわざ泊っていくほどでもありません。花散里の性質はおっとりとおおようです。「自分の運命はこうしたもの」と思い聞かせながら、珍しいほど平穏でゆったりしていますが、季節ごとの手当てなどは紫上と遜色がないように配慮しています。こうした待遇ぶりを見て、花散里を軽視するような者もいず、シュノンソーと同じ態度で仕えています。管理人や職員たちの怠りはありませんので、特に混乱もなく暮らしやすい様子です。
モントワールの山里で退屈しているであろう人のことも絶えず思いやって、新年の公私の多忙が過ぎてから、尋ねていくことにしました。いつもよりことに身嗜みに念を入れて、桜色のコートの下に、何とも言えぬ衣服を重ねて、香もしっかりとたきしめた後、紫上に外出を告げました。赤々と射す夕日に映えて、一層清らかに立派に見えますので、紫上は穏やかならぬ思いで見送りました。若姫はあどけなくタイツ(ショース)の裾にまつわりつきながら、外に出て来ようとしますので、ヒカルは立ち止まって、「なんて可愛いことだ」と微笑みます。
あれこれなだめすかしながら、
(歌)桜のような人よ 十ヘクタールほどの畑を島に造ったから 船を止めて見回りをして 明日にでも戻って来るよ
と流行り歌「桜の人」を口すさみながら出ようとしますと、紫上は回廊口に侍女の中将の君を先回りさせていていました。
(歌)船を止めてお留めになる 遠方の御方がおられなければ 明日のお帰りをお待ちしています
と紫上が作った歌をひどく物馴れた口調で詠みましたので、ヒカルは花やかに苦笑いをしてしまいます。
(歌)ちょっと行ってみて 遠方の御方が あれこれ機嫌を悪くしても 明日帰って来ますよ
何も知らずにじゃれまわっている姫君を「何て美しい子だろう」と見ていると、紫上もモントワールの御方を気に食わないと妬む気持ちも緩んでしまって、許してしまいます。
「それにしても、あの御方はどんな思いでおられるだろう。自分であれば、我が子がひどく恋しくてならないだろう」と若姫をじっと見守りながら、自分の懐ろに抱きいれて、自分の乳首をふくませて興じている様子は一見する価値があります。お側にいる侍女たちは「どうして紫夫人にはお出来にならないのでしょう」、「同じように生まれてくるならね」、「本当に世の中というのは」などと囁き合っています。
モントワールでは大層のどかに風雅に住み慣れて、家の様子にもブルターニュ色を取り混ぜて、ロワール風とは違った珍しさです。女主人の気配なども、出逢う度ごとに高貴な方々とさほど劣らないほどになっていきます。容姿や身嗜みも望ましいように立派になっていきます。
「これまでは片田舎にいて、世間一般の人たちの中に紛れ込んでいたのだから、こうして段々と美しく立派になっていく事例もありえることだ。世間と相容れないひねくれ者の父親の評判で迷惑して来たことだろうが、元々の家柄はしかるべきなのだから」などと思ったりします。
いつも出逢っている時間が短く、満ち足りないままゆっくりともできずに帰らねばならないのが苦しくて、
(歌)世の中というものは 夢の中の浮橋を渡りながら いつも物思いをしてしまうものだ
と嘆いているだけです。スピネット(小型のチェンバロ)を引き寄せて、あのサン・ブリューで一夜を過した折りの音色を思い出して、女君にリュートをしきりと所望しますと、ヒカルのスピネットに少しばかり弾き合わせます。「どうしてこれほど上手に弾けるのだろう」と感心します。若姫の様子を詳しく話しながら過します。
王城から離れた、ひなびた山荘ですが、こうしたように一晩を過す折々はちょっとした地元産の菓子や山羊チーズを賞味する時もあります。モントワール市内の教会やラヴァルダンのシャペルを詣でるという口実で誤魔化していますが、一途にのめり込んでしまうほどではありません。それでも目につくほどそっけなく、並みの愛人のように扱ってはいないのは、女君への愛情がとりわけ深いからでしょう。女君の方もそうしたヒカルの心持ちを読み取って「出過ぎ者」と思わせることはしません。といって、ひどく卑下することもなく、ヒカルの思いに違えることもなく、見た目の感じがよい振る舞いぶりです。
身分が高い愛人宅でも、これほどざっくばらんに打ち解けることはなく、すましこんでおられる、と うすうす聞き及んでいるので、「シセイ城へ移って行って女性たちに交じりこんでいくと、次第に珍しがられることもなくなって、人から侮られてしまうようになってしまうだろう。たまさかであるにせよ、こうしてわざわざお越しになっていただけるのが私の強みだ」と思ってもいるのでしょう。
サン・ブリューの修道僧もあれこれ言ったものの、ヒカル殿が心を決めて、どういう扱い方をされているかを知りたく、気掛かりでならないように絶えず使いを遣っています。報告を受けて、胸が潰れることもあれば、逆に「晴れがましくて嬉しい」と思うことも多くありました。
3.金布の野
冷泉王も立候補した神聖ローマ帝国の皇帝選挙に勝利して、スペイン国王と神聖ローマ皇帝を兼任するようになったカール五世への対策が当面の課題となっていました。足元を固める意味合いもあって、皇帝選挙以前に平和条約「ロンドン条約」を結んでいたイングランド王国との関係強化に力を注いでいきます。折衝はアンジェの太政大臣を中心に進められ、反カール五世同盟の締結とはいかないまでも、最低でも平和条約の継続をめざして、ロンドン条約二周年記念といった名目での両国王の会談が具体化しました。
出合い場所はイングランド領のカレー(Calais)近くのギヌ(Guînes)とフランス領アルドル(Ardres)の境界に位置する荒野が選ばれました。フランス側は国王や上級職向けに金糸の刺繍がされた布製のテントを据え、それに白や黒白縞のテント群が取り巻き、騎乗槍試合を行うトーナメント会場まで設置しました。イギリス側は内部にタピストリーを飾り立てたり絨毯を敷き詰めた、レンガ作りの迎賓館を急造しました。 荒野に突然、色彩豊かな花々が咲き乱れる光景に地元民は度肝を抜かれましたが、金布のテントにちなんで「金布の野(Camp de Draap d'Or)」と呼ばれるようになりました。
ヒカルたちにとっての誤算は、交渉の中心役を担い、「老骨に鞭を打ってでも」と出席を予定していた太政大臣が直前になって、病に臥してしまったことでした。大任の重責はヒカルとアントワンに委ねられてしまいましたが、外交手腕に長けたルーアン枢機卿を失った後、これまで外交も内政の仕切りを太政大臣にまかせっきりにしてきたこともあって、二人の戸惑いを想像できます。イングランド王ヘンリー八世の片腕として、太政大臣ですら手を焼いた手練手管の枢機卿ウルジー(Wolsey)に太刀打ちができるだろうか。おまけに会談予定の一週間ほど前にイングランド王はカレー対岸のドーヴァーでカール五世と会談した報も入っていました。
冷泉王が率いる数千人に及ぶ隊列はパリから金布の野に向いました。藤壺女院も参列を切望していたのですが、春の初めから、体調を崩して病が続いていますので、参列を断念しました。「さぞかし息子の晴れ姿をご覧になりたかっただろうに」とヒカルは暗い気持ちで金布の野に入りました。
両国王の最初の会見には冷泉王にはアントワンとヒカルが、ヘンリー八世にはウルジー枢機卿が付添いました。四年前に即位した冷泉王はまだ十三歳にすぎません。対するイギリス王はヒカルより二歳下の、男盛りを迎えた二十九歳でした。十一歳の時、兄の病死により王太子となり、兄嫁でカール五世の叔母にあたるアラゴン王女と結婚し、父王の死で即位をしてから九年が経過していました。学識も深く、 運動神経もよく軍人としても立派だ、との評判がありましたが、野心家で七年前に反フランスの神聖同盟に加盟して、北部フランスに攻め込んでいますから油断なりません。
両国はそれぞれ三千人の貴族、将校たちを招待しており、総勢1万2000人を数える未曾有の国際イベントになりました。日中は騎馬槍試合、日が暮れると花火が打ち上がり、絢爛な饗宴や舞踏会、コンサートが繰り広げられ、ヘンリー八世とアントワンの格闘試合も注目を集めました。
ヒカルはイングランド王が少年時代に著名なユマニストであるエラスムスにトーマス・モアを介して出逢ったことがあると知って、ヨーロッパのユマニスト談義で花が咲きました。ローマ教皇に対峙するルターを擁護もしますので「これをきっかけにフランス側に引き込めることができないものか」と様子を見ています。
ヘンリー八世はイタリアやフランスのルネサンスにとりわけ関心が強いようで、ふいにネーデルランドやフランスの駐在大使を歴任した外交官の娘、虹バラを宮廷文化の見習いを兼ねてフランス王宮へ留学させる要請をしました。紹介された十九歳になる女性は背丈は普通でしたが、すらりとしていました。髪は黒がかった栗色で、眼も暗めで鼻筋が高い南フランスによく見かける風貌でしたが、肌は絹のようなきめ細かな白さでした。気は強そうでしたが、陽気な性格で笑顔を絶やしません。
「どうせ、スパイとして王宮にもぐりこませたいのだろう」とヒカルはうまく断わる言葉を探していると、虹バラは流暢なフランドル訛りのフランス語で自己紹介を始めました。父がネーデルランド駐在大使だった頃に白菊総督に仕えたことがあり、白菊が創設した学校で学んだこともあることを聞いて、何か親近感が湧いてきたので、気を変えて要望を受けることにしました。
「梅壺の見習い女官にすれば、物珍しさもあって、気晴らしの相手になってくれるだろう」。
肝心の和平交渉は祝宴が始まって二週間が経過しても具体的な進展がなく、フランス側を焦らせます。イングランド王もウルジー枢機卿ものらりくらりと焦点をはぶらかしていきます。フランス側はイングランド軍が占拠し続けている北部フランスを細切れに返還しながら賠償金を高くせしめていく戦略、と判断していたのですが、どうやらイングランド王はフランス側につくか、カール五世側につくかを天秤にかけながら、様子を探っていることに気付いていきます。ヨーロッパ西端の小国で人口もフランスの1400万人に対して300万人にすぎないイングランドをフランス、神聖ローマ帝国、スペイン王国に伍する強国にしていく野望を抱いているようです。
金布の野で期待したほどの成果を得られなかったヒカルとアントワンはパリに戻る道中で「私たちはまだまだ国際外交ではまだ若造にすぎないな。自分たちより年下だが、したたかなイングランド王の手玉にとられてしまった」と反省しきりでした。
「こうなったらキリスト教と敵対するイスラム帝国ではあるが、背に腹は替えられない。スレイマン一世がセリヌ一世からスルタンの座を引き継いだばかりのオスマン・トルコ帝国と友好関係を強めていこう。バルカン半島への西進を継続して神聖ローマ帝国の東の境での脅威となっているし、地中海西部でもスペイン王国の脅威となっている」。「アントワンはジェノバに遠征した際にジェノヴァ駐在のオスマン・トルコ大使の娘と恋仲になり、女児も生まれているとのことだから、その人脈を活用して接触していこう」、「ヒカルはモーに集まったユマニスト人脈を介してドイツのルター派に傾倒する諸侯との折衝を強めていき、神聖ローマ帝国内を撹乱させていこう」と役割分担を決めました。
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