その13.サン・ブリュー (ヒカル 26歳~27歳)
1.荒天と立願、落雷と火災
雨も風もまだ止まず雷も鳴り静まらないまま、数日がたちました。幾度も不安にかられながら、これまでのこと、これから先のことを思うと悲しくなって、気を強く持たねばと思いながらも挫けてしまいます。
「どうしたら良いのであろうか。『こんなことがあったから』と言って、ロワールに戻ったところで、まだ公けの許しを得ていないのであるから、物笑いになってしまうだけだろう。ここよりもっと奥の山中に姿をくらませてしまおうとも考えるが、『波風に恐れをなして』と人にからかわれてしまい、後の世にまで軽々しい名を流してしまうことになるだけだ」と迷います。
いまだに夢の中に「あの同じ何者とも分からない人物」が現れて引き寄せてきます。雲が切れることもなく明け暮れる日々が続き、ロワールの方も気掛かりになりながら、「自分はこんな状態で死に至ってしまうのか」と心細く思います。空は顔を突き出すこともできないほど荒れ狂っていますので、見舞いに来る者もいません。
そんな中、シュノンソーからやたらと雨具を着こんで、不恰好な姿をした使いの者が、ずぶ濡れになってやって来ました。道中ですれ違っても、人なのか何物なのか区別がつかずに追い払われてしまいそうな身分の低い男でしたが、そんな者にも親しみが湧き、不憫に感じるのは、我ながら情けなく、挫けて卑屈になってしまった心の内を思わずにいられません。
紫夫人からの手紙には「浅ましいほど止みそうにない長雨が続き、空も塞がってしまったような心地がして、サン・マロを眺めようとしても方角が分からなくなってしまったほどです」とありました。
(歌)サン・マロの浦では どんなに激しい風が 吹いているかと思いやっています 心配する涙の波が
絶え間なく私の袖を濡らしています
などと身にしむような悲しい事ごとが書かれていました。封を開けた時から潮が満ちて来たように涙がとめどなく流れ、目も暗んでしまう思いがします。
使いの男は「ロワールでも『この風雨はとても怪しげなことが起きる天の啓示であろう』と言って、『救国のミサなどを行うべきである』といった話し合いもされていると聞きます。ロワール川が氾濫していまして、高官たちが王宮に上がろうとしても、すべての道が塞がっていて、行政も途絶えております」などと、はきはきとではなくぽつりぽつりを話すのですが、「ロワールに関する話だから」と思うと気掛かりになって、その男を呼んで直に質問をします。
「ただもう、ロワールでもこのような雨が絶え間なく降り、時々風が吹き荒れる、というような日が幾日も続きますのが、これまでに例がないことだと皆が驚いております。何しろ、こんなに地の底まで貫いてしまいそうな雹(ひょう)が降り、雷が静まらないことはこれまでになかったことです」などと天地の異変に驚き怯えている男の顔がとても辛そうなのを見ていると、一層心細さが募ります。「旧約聖書の『ノアの洪水伝説』は本当のことだったのだ。このまま世の中が終っていくのではないか」という気がします。
その翌日の明け方から風が激しく吹き、潮が高く満ち、荒波の音は岩も山も崩してしまいそうに響きます。雷が鳴り渡る様は形容する言葉がない程で、「すわ落ちてくる」と怯えながら、その場にいる者で、しっかりした者はおりません。「どんな罪を犯したから、自分はこんな悲しい目に遭ってしまうのだろう。父母に会うこともできず、愛しい妻子の顔を見ずに死んでいくのか」と歎く者もいます。
ヒカルは心を静めて、「どれほどの過ちを犯したために、この海辺で命を終らせなければならないのか」と気丈に構えてはいますが、怯える周りがあまりに騒がしいので、色々な供え物を祭壇に捧げて、「モン・サン・ミシェルの聖人様、どうかこの付近一帯の悪天候を鎮めてください。本当に啓示をお見せする聖人でおられるなら、何とぞ助けてください」と多くの請願を立てます。
お付きの人々も各自、自分の命は当然のことながら、ヒカル殿のような御方が未曾有な不幸に遭遇して海中に沈んでしまうのが、この上もなく悲しいので、気を奮い起こして、少しでも意識が確かな者は「自分の命に代えてでも、この御方をお救いしよう」と大声をあげながら、声を合わせて神や聖人に祈ります。
「王宮の深所で育てられ、色々な楽しみを享受されて来られたが、その深い慈悲はフランス中のあまねく不幸に沈む人たちを数多く浮上させてこられた」、「今、何の報いを受けて、こんなに尋常ではない波風に呑みこまれてしまうのでしょう。天地の聖者たちよ、ご判断くだされ」、「罪もないのに罪を受け官位を剥奪され、家を離れ故郷を去って、明け暮れ心が安まる時もなく歎かれておられる、というのに、このような悲しみにすら遭遇してしまい、命が尽きようとしているのは、過去の報いなのか、現世で犯した罪からなのでしょうか。神も聖人も確かにおられるなら、この禍を止めてください」とモン・サン・ミシェルの方角を向いて、様々の祈願を立てました。
また海中のポセイドンや万の聖人たちにも願を立てるのですが、雷がますます鳴り轟いて、居間から続く葦葺きの回廊に落ちてしまい、炎が燃え上がって焼けていきます。生きた心地もせず、一人残らず慌てふためきます。
邸の後方にある厨房などに使っている建物にヒカルを移しましたが、上下の別なくひしめいていて、むさ苦しいほど騒がしく、泣き叫ぶ声は雷鳴にも劣りません。空は黒インクを刷り込んだように真っ暗で、日が暮れていきます。
ようやく風がおさまり、雨脚も小降りになって、星の光りも見えてきました。ヒカルがいる座場はめったにないほどひどい場所なので畏れ多くて、「本邸にお戻ししよう」と考えもしたのですが、焼け残った建物は薄気味悪い上に、大勢の人たちが踏み荒らしていて、カーテンなどもすべて吹き飛んでいました。
「夜が明けてから、お移りしていただくことにしよう」と人々がまごついている中、ヒカルはロザリオを手に祈りながら、あれこれ思い巡らせますが、とても気分が落ち着きません。
月が上がって来て、潮がすぐ近くまで押し寄せて来た跡がはっきりと分かり、その名残りである荒波が寄せては返す光景を、ヒカルは柴で作った戸を押し開いて眺めています。この界隈には優れた占星術師のように物の道理を弁え、過去・未来を把握して、どうしてこのような異変が起きたのかを解き明かしてくれる人物もおりません。
貧相な漁師たちなどが「貴人が住んでおられる場所だから」と集まって来て、聞いていてもよく理解できないブルトン語でしゃべり合っているのは大層珍しいことですが、誰も追い払おうとはしません。
「この風がもうしばらくの間、止まなかったなら潮が上がって来て、ここも跡形もなく消え去っていただろう。神のお加護は大変なものだ」と誰ともなく話しているのを聞いていると、「とても心細い」という言葉では足りないほどです。
(歌)海に鎮座する 聖人の助けがなかったなら 潮が渦巻く 沖合いに流されていたことだろう
とヒカルは歎息しました。
2.桐壺院の訓諭と、サン・ブリューへの移住
終日、激しく吹き荒れた騒ぎにひどく疲れてしまったので、ヒカルは知らず知らずのうちにウトウトとしてしまいます。面目もない座場でしたから、ただ物に寄りかかっているだけでしたが、故桐壺院が在世中の姿で室に立ち入って来て、「なぜ、こんなひどい所でまごまごしているのか」と言いながら、ヒカルの手をとって引き起こそうとします。
「モン・サン・ミシェルの聖人が導くままに、早々に船出してこの浦から去りなさい」と告げました。故院の出現が嬉しく、「もったいないほどの恩恵をもらいながら、お別れいたしましてからは様々と悲しい事ばかりが多く起こってしまい、今はこの渚で身を投げてしまいたいほどです」と答えますと、「とんでもない。そんなことをしてはならない。これはただ、ちょっとしたことへの報いにすぎない。自分は在位中に過失を犯したことはなかったはずだが、気付かずに犯した罪があったようだ。その罪を償う間は余裕がなく、この世のことを顧みることができなかった。お前が並々ならぬ難儀に沈んでいるのを見て、じっとしていられなくなって、海に入り渚に上がってここまで来たので、ひどく疲れてしまった。ついでに王宮にいる朱雀王にも申すべきことがあるから、急いでロワールにも向わねばならない」と告げて立ち去って行きます。
ヒカルは物足りず悲しくなって、「お供をして私もロワールへ参ります」と泣き入りながら見上げてみると、人影はなく、月の顔だけがきらきらと光っています。夢とも思えず、故院がまだその辺りに留まっているような気持ちがします。空の雲が悲しげにたなびいています。長い間、夢の中でも逢うことができないのが辛く、恋しく気掛かりになっていた故院の様子をわずかながらもはっきりと見ることができ、その面影がなおも残っている気がします。「自分がこんなに悲しみを極め尽くしてしまい、命を失いそうになっているのを見て、助けに来てくれたのだ」としみじみ有り難く、「こんな暴風雨の騒ぎがあってくれてよかった」と感じて、名残惜しいいながらも限りなく嬉しく思います。
胸が塞がって様々な思いがあふれ出て、現実の悲しい事もすっかり忘れてしまいます。「夢の中であっても、もう少し話をすればよかったのに」と気持ちが晴れず、「もう一度、夢に出て来てくれるかも」と強いて寝入ってみますが、眼を閉じることができないまま、明け方になってしまいました。
渚に小舟を寄せ上げて、二、三人の人がヒカルの邸の方に向って来ます。
「どなた様でしょうか」と問いますと、「元知事でおられる在俗僧がサン・ブリューの浦から船を用意して参っております。オリヴィエ殿がおられますなら、お目にかかって事の仔細を申し上げます」と答えます。
それを聞いたオリヴィエは驚きながら、「入道とはこの国におりました時からの知り合いで、ずっと以前から存じておりますが、私の方でいささか恨むことがありまして、格別な手紙のやり取りもせずに久しくなっております。この荒波の最中に何用があって、やって来たのでしょう」と訝ります。
ヒカルは昨夜の夢もあって、思い合わせるふしもありますので、「早く会ってみなさい」と促しますので、オリヴィエは沖合いの船に行って、修道僧と面会しました。
「それにしても、あれほど激しかった波風の直後なのに、どうして船出をして来たのだろう」とオリヴィエは理解できません。
「今月の一日の夜に見た夢に、異形な人物が現れて告知したことがあります。『信じ難い事だ』と感じましたが『この十三日になったら新たかな霊験を見せよう。船の準備をしておいて、雨風が止んだら、必ずサン・マロの浦へ向いなさい』と前もってのお告げがありましたので、試しに船出の準備をしておりますと、烈しい雨風と雷に驚愕しながら、『外国の王朝でも、夢のお告げを信じて国難を救うことができた、といった類の話が多くあるから、告げられたこの日をやり過ぎずに、お告げの話をお知らせしよう』と判断して船を出しますと、不思議な風がそよそよと吹いて、この浦に着きました。まさに神か聖人のお導きに違いません。『こちらにも、何か思い当たる事がありましたでしょうか』ということなのです。恐縮ですが、この旨をヒカル殿にお伝えしてください」と在俗僧が申します。
邸に戻ったオリヴィエはそっとヒカルに伝えました。ヒカルは思いをめぐらせながら、夢でも現実でもあれこれと物騒がしいことが起こり、加えて故院の諭しもあったし、これまでのこと、これからのことを思い合わせていくと、「世間の人の噂話や後の謗りを気にしてしまって、本当の神の助けではないだろうと神に背いてしまうなら、それ以上に人から笑われてしまうであろう。現世に生きる人の意向に背くことですら苦しいことなのだから。気が進まないことでも慎重にして来たが、自分より年齢が上か、位が高く世間からの信望も一際勝っている人になびき従い、その人の心遣いを受けるべきものなのだ。『退いても咎はない』と昔の賢人も言っているではないか。実際にこうした命を落とすような災難に遭遇してしまい、またとない程の辛酸の限りを体験してしまった。いまさら、後々の悪評を避けておこう、という気もしない。昨夜の夢の中でも父王の『この浦から去れ』というお告げがあったことだし、この際、何事を疑うべきなのか」と承諾の返事を修道僧に伝えさせました。
「見も知らない土地へやって来て、これまでにない辛苦の限りを体験してしまいましたが、『ロワールからやって来ました』と言って安否を尋ねて来る人もおりません。ただただ、行方を知らない空の月と日の光りだけを『故郷の友』と眺めているだけですが、『漁師の釣舟に乗って 荒波に濡れながらも 吹く風が伝える便りは 嬉しいものだ』と詠む名歌のようなお申し入れをいただきまして。そのサン・ブリューの浦に、静かに隠れ住むような場所がありますでしょうか」とも尋ねました。
オリヴィエからヒカルの返事を聞いた入道は限りない喜びようで、恐縮の意を表して来ました。
「何はともあれ、夜が明けきらないうちに乗船していただこう」ということになり、ヒカルはいつもの親しい側近四、五人をお供にして船に乗りました。
修道僧が語ったような、不思議な順風が吹き出てきて、飛ぶようにサン・ブリューに到着しました。ほんの一跨ぎで短い時間でしたが、それにしても不思議な風の動きでした。なる程、浜辺の様子は格別なものでした。サン・マロと違って、人が大勢住んでいるような点が、ヒカルの希望と違っていました。
修道僧の所有地はあちこちにあって、海の近くと山手の双方に邸宅を構えていました。海辺の邸宅には渚に面して折々につけて興を催させるような風流な小亭があり、山手の邸宅には修行をして後の世の事を思い澄ますのに適した、渓流に面した場所に厳かな礼拝堂を建てて、精神集中を深める勤めを行っています。さらに現世の用意として、余生を豊かに暮らせるように秋の収穫物を収める納屋や、財宝を納める蔵などの倉町がありました。それぞれ、四季折々に場所にふさわしい見所があるように散りばめていました。
高潮の再来を恐れて、その頃は女性たちを山手の館に移し住まわせていましたので、ヒカルはこの浜辺の館で気楽に住むことができる、とのことです。
船から馬車へ乗り移った時分に、ようやく日が射し上がってきて、ヒカルの容姿をほのかに見た修道僧は老いを忘れ、寿命が延びる気がします。満面の笑顔を浮かべて、何はともあれ真っ先にモン・サン・ミシェルの聖人を拝みます。月と日の光りを手中にした心地がして、大切にお世話をするのももっともなことです。
浜辺の館は風光明媚なことは言うまでもなく、趣向をこらして造園した木立ち、石組みや前庭などの有様、えも言えない入り江の水など、絵に描くとすると造詣が足りない絵描きだととても描ききることはできないように見えます。これまでのサン・マロの住まいよりずっと晴れ晴れして居心地がよく、室内の飾りつけなども立派にして暮らしている様子は、ロワールの高貴な方々の住まいと変わりはありません。優雅で眩いほどの有様はむしろ勝っているように見えます。
心が少しは落ち着くようになってから、ロワールへ便りを書きました。先日の嵐の最中にロワールからやって来た使いの男は「恐ろしい道中に出くわしてしまい、死にそうなひどい目にあってしまった」と泣き沈んで、いまだにサン・マロに留まっていたのを呼んで、身に余るほどの品々を授けてからロワールに帰らせました。親しくしていた祈祷の師たちや、しかるべき方々には、これまでの経過を詳しく報告させたことでしょう。修道女の宮にだけは「不思議にも命拾いをした模様」などを報告します。
シュノンソーの紫君からの胸を打つ手紙の返信は一気にすらすらと書けず、一節ごとに筆を置いて涙を拭いながら書いたような印象を与え、格別でした。
「恐ろしい目の限りを返す返す見尽くしてしまった有様なので、今はもう出家して世の中から思い離れてしまいたい気持ちが募っていますが、
(歌)お別れをしましても 面影だけでも 本当に留まってくれるなら 鏡を見て慰めることができるでしょう
と詠まれた貴女の面影が離れる時もありません。そんな未練を残しながら出家など出来るものか、と様々な憂い事は差し置いています。
(歌)見知らぬ浦から さらに遠い浦に流れて来ても はるか遠くから 貴女のことを思いやっています
まだ夢の中にいるような心地がして、覚めきらないでいるうちに、どんなに僻んだことを沢山書いてしまったことでしょう」と、何とも取りとめがない乱れ書きになってしまいました。はたから見ると惚れ惚れするような横顔をしていますから、「それほど女君への思いが強いのであろう」とお付きの人々には映ります。
お付きの人たちも各々、故郷への心細い言付けを使いの男に託したことでしょう。
絶え間なく降り続いた空模様も名残りがないほど澄み渡って、漁に出た漁師たちも活気づいています。サン・マロは道化戦争の後遺症もあって、船乗りや漁師の住まいなども少なかったのでした。サン・ブリューは人並みが多すぎるのが目障りですが、サン・マロと様子が変って、興を催すことが多く、何かにつけて気分が慰められます。
3.ヒカルを婿にと望む修道僧の焦躁
サン・ブリューの在俗僧がお勤めをする様は並々なものではありませんが、ただ、一人娘の先行きを案じている気配は見苦しいほどで、時々、ヒカルにも娘への思いを洩らしたりします。
ヒカルもかってル・ピュイ・アン・ヴレイでオリヴィエから「容貌や心ばせなど申し分ない」と聞いたことがある女性でしたので、こうした思い掛けない廻り合わせに「それだけの宿縁があったのだろうか」という気はします。それでも「こうして身を沈めている時は勤業以外の他の事は思ってはいけない。ロワールの人たちから『そういう女性ができたのなら、約束を違えた』と思われてしまうのも恥ずべきことだ」と考えますので、娘に関心を抱いているような素振りは見せません。ただ折りにふれ、「性格や人柄が並大抵ではないようだ」と心が惹かれなくもありません。
修道僧はヒカルが住む主屋には遠慮をして自分からも近付かず、ずっと離れた小舎に詰めています。実は心中では始終ヒカルを拝見したくてやきもきしながら、「何とか娘と縁結びをさせたいとの望みを叶えたい」とキリストや神への祈りにますます専念しています。年齢は六十歳ほどになりましたが、こざっぱりとしていて、好ましいまでの勤業で痩せぎみになっています。生まれが貴いからでしょうか、頑固で少しぼけたところもありますが、昔の出来事にも精通していて、どことなく上品で、教養が高いことも垣間見れますので、昔話をさせて聞いていますと、退屈さも少しは紛れます。
在家僧は田舎住まいながらも、自国のデタプル先生だけでなく、ロッテルダムの尊師や尊師のイングランドの知友など、ロワールやパリなどで話題になっている西ヨーロッパのユマニストの動静を熟知していて、ヒカルを驚かせました。ジュアールに滞在した後のごたごた続けで中断となっていたユマニスト達の動向や新著の概要を聞き、さらに在家僧はパリ大学でデ・タプル先生と同窓であったことも知って親近感が増して、心待ちにしていた知的な友人がにもできたことを喜びました。
ヒカルは成人式をあげた頃から、公的にも私的にも多忙が続き、それほど聞くことも調べることもなかった、道化戦争に至った経緯など故事来歴を在家僧はぽつりぽつりと語ります。
「こういう土地へ来て、こうした人物に出逢わなかったら、そざかし物足りない思いをしただろう」と色々興味深いと感じる事も混じっていました。
修行僧はこうやってヒカルと馴れ親しんでいきますが、ヒカルの気高く立派な様子に娘のことに触れるのが気が引けて、心中で思うままに話せないことを「歯がゆくて、残念だ」と妻に言いながら、二人して嘆いています。
当の娘もヒカルを隙見した時から「普通の身分の男ですら、めぼしい者が見当たらないこんな田舎なのに、世の中にこうした御方もおられるのだ」と分ってみると、我が身のほどを知って、とても遠い存在の御方と悟っています。親達の目論見を知るにつけても「不釣り合いなこと」と考えると、なまじそんなことを知らないよりも辛くなります。
4.修道僧、リュートを奏し、ヒカルを婿にと約す
五月下旬に入りました。修道僧は夏用の衣替えの衣裳や寝所のカーテンなどを風流に誂えて届けます。万事につけお世話を焼きますので、ヒカルは「気の毒なことだ。これほどのことまでしてくれなくとも」と困惑していますが、あくまで気位を高く持っている様子が貴いので、好意を受け入れています。ロワールの紫上からも度重ねて見舞いの品々が多く届けられています。
のんびりとした初夏の夕月夜に、海上が曇りもなく見え渡せるのが、住み慣れたシュノンソーのシェール川の風景に似通っているように感じて、言いようもなく紫上が恋しくなって、どこへともなくさすらって行きたい気がするのですが、眼前にただ見えるのは白波が洗う岩礁と小島だけでした。
「遙かに見える波の泡」などと口ずさんで、
(歌)沖の小島の泡波を見ていると 今宵の澄みきった月が ロワールを恋しく思う悲しみすら すっかり照らし出す
久しく手に触れなかったハープを袋から取り出して、はかなそうに掻き鳴らす様子を見ている人たちも心中は穏やかでなく、哀れに悲しく思いやっています。「王さまの大なる墓所」という曲を心をこめて弾いていますと、その音色は松風や波の音と響き合って山手の邸宅にも聞えてきます。音楽に嗜みがある若い女性たちは身に沁みて聞き入ります。名手が奏でる音など聞き分けることができそうもない、ここかしこの地元の人たちもハープの音色に浮き足立って、じっとしていられなくなって浜風の中をさまよい歩いています。
修道僧もじっとしていられなくなって、供養の勤めを中断して急いで浜辺の邸に駆けつけました。
「音色を聞いておりますと、捨てた浮世をもう一度取り返して思い出してしまいそうです。死後に参りたいと願っている世界の有様も思い起こせるような夜でございます」と涙をたたえながら褒め上げます。
ヒカルは心中で、四季折々の管弦の催し、その時のその人、あの人のハープや笛、もしくは歌いぶりや、何かにつけて自分の芸も世間からもてはやされたこと、王さまを始めとして周囲の人たちからも敬服を受けていたことなど、他人のことや我が身の有様も思い出しながら、夢心地のままにハープを掻き鳴らしますので、その音色はせつないほど情緒がこもっています。
老人は涙を止めることができないまま、山手の邸にリュートとスピネット(小型のチェンバロ)を取りにやらせて、修道僧はリュートの弾き手になって、とても興趣ある珍しい曲を一つ、二つと弾き出しました。スピネットをヒカルの側に寄せましたので、ヒカルも少し弾きましたが、様々な芸事が並々ではないので、在家僧は感じ入ります。
さして上手でもない弾き手の音色でも、その折りの情景で感じよく聞えるものですが、眼をさえぎるものがない、はるばるとした月夜の海面を面前にして、春と秋の花や紅葉の盛りというよりは、ただ何となく生茂っている木陰がなまめかしい中、水鳥が戸を叩く音に似た声で啼いているのが、
(歌)まだ宵のうちに来て 戸を叩くのは水鳥だろうか 誰が門を開けて中に入れるのだろうか といった歌のようで、しんみり感じさせます。
そうした情緒の中で、ヒカルは類ないほど美しい音を奏でるスピネットを大層なつかしげに弾き終えましたが、そのスピネットが気に入ったようです。
「スピネットというものは女性がなつかしげな様子でくつろいで弾くのが面白いですね」と何気なしに話しますと、修道僧はわけもなく微笑んで「貴方が弾かれるほど、なつかしげに弾く女性など、どこにいるでしょうか。小生は桐壺王の父王から直々に伝授された者の三代目になりますが、このようなふがいない僧侶の身となってからは、俗界のことも音楽も顧みなくなっておりました。それでも気分が塞いでしまう折々にはスピネットを弾き鳴らすことがありますが、どういう次第か娘が聞き覚えで弾きますのが、自然と私の祖父の手筋に似た音色を出します。田舎僧の僻耳で、松風の音と聞き違えているのかもしれませんが、どうにかして内々で娘が弾くのを聞いていただきたいものです」とぶるぶる身を震わせながら、涙をこぼしそうにしています。
「スピネットの音を松風が邪魔をして聞き間違えをしてしまうような場所にいながら修得するというのは憎らしいことです」とヒカルは言いながら、スピネットを押しやって「不思議なことに昔からチェンバロというものは、女性の名手が多いようです。この王朝の三代目にあたる賢明王から伝授された第五王女はその当時の名人でおられたようですが、その流儀をとりたてて伝える者はおりません。総じて現代で評判が高い人々は通り一遍のひとりよがりの者ばかりです。この地でそれ程の名手が隠されているというのはとても興味深いことですね。どうにかして聞いてみたいものです」と答えました。
「お聞きくださいますのに何の支障もございません。御前に呼び寄せても構いません。その昔、都でリュートの名手として知られた名妓は田舎の商人の妻になりましたが、偶然リュートの音色を聞いた旅人が感涙した、という例もございますから。そのリュートというものは、本当の音色を弾きこなす人は昔でも少なかったようですが、当方の娘はかなり滞りなく弾きますし、情味がこもった手つきなどは人より優れております。どうやってその域まで修得したのかは分かりませんが、こんな荒波の音と混ざってしまう場所に置いておくのは私としては悲しいことではあります。それでもその御蔭で、積もる憂いが紛れる折々もございます」などと音楽通のように話しますので、「面白そうだ」と感じてエピネットを在家僧に譲って弾かせます。
在俗僧は確かにとても上手に弾き鳴らしました。現在ではあまり聞けない曲を弾き出しましたが、手の使い方は非常にフランドル風で、押し手のような音色が深く透き通るように響きます。フランドルの海ではないものの、声が良い側近に「清い渚で貝を拾おう」など流行の歌を歌わせて、自身も時々拍子をとって声を添えますと、修道僧はエピネットを弾き止めつつ褒め称えます。
ヒカルは珍しい酒肴や菓子を供します。お付きの人々にもシードル(りんご酒)やカルヴァドスの酒を勧めながら、自分自身も日頃の憂さを忘れて夜が過ぎていきます。すっかり夜が更けて行くにつれて、浜の松風が涼しく吹いて、月も入り方になるにつれて澄み渡り、辺りが静かになって行きます。在俗僧は頃合いを見て、これまでの生き様を残らず話します。サン・ブリューの浦に住み始めた頃の心境、後の世を願って在俗僧になった経緯などを少しづつ打ち明けながら、問わず語りに娘の様子を説明します。ヒカルは興味深く耳を傾けながら、さすがに身に沁みる節もありました。
「誠に申し上げにくいことですが、貴殿がこうして、思いも掛けられなかった土地に、一時的にせよ移って来られたのは、もしかしたら長年の間、この老僧が祈ってまいりました神や聖人が憐れんでくださり、しばらくの間でも気苦労をおかけするようになるのではないか、と思う次第です。何となれば、聖ミシェルに願いをかけましてからかれこれ十八年になりますが、娘が幼少の折りから思う仔細がありまして、毎年春と秋にモン・サン・ミシェルに参詣をさせておりますからです。さらに日毎の昼と夜六時のお勤めでも、自分が天国へ参る願いはそれはそれとして、どうかこの娘を高位の御方に嫁がせる願望を叶えてくださいと念じております。私は過去の宿運に恵まれなくて、こんなにつまらない田舎人となってしまいましたが、父は大臣の位を保っておりました。
今を時めく紫陽花王太后の父でおられたブルターニュ公に請われたこともあって、自分はかように好んでブルターニュの民になったのでございます。ところが道化戦争に負け、ブルターニュ公が亡くなられてから私の人生設計は狂い出してしまい、世をはかなんでおりました頃、娘を授かりました。代が重なるうちに身分が落ちぶれていってしまったなら、どうなってしまうだろうと悲観しておりましたが、この娘が生まれてからは希望を持ち始めております。どうにかして都の位が高い御方にさし上げよう、と思う気持ちが深く、身分が低ければ低いなりに娘を嫁に欲しいと願う多くの人から妬みを受け、我が身としては辛い目に遭うことも多くありますが、それが苦しいとは思いません。命のある限りは微力ながらも育てていこう、と考えています。良縁がないまま私が先にみまかってしまったら、『海の中に身を投げてしまえ』とまで言い渡しております」など、とても人が真似をできそうもない事などを涙をこぼしながら語りました。
ヒカルも様々と物を案じている折りでしたから、涙ぐみながら聞いていました。
「不当な罰を受けまして、思いもよらぬ世界に漂泊してきたのは、『どんな罪によってのことなのか』と分からなく思っていましたが、今宵のお話を伺ってみますと『確かに浅からぬ宿縁があったのだ』としみじみと理解できます。そこまではっきりと思い定めておられたのでしたら、どうして今まで話してくださらなかったのでしょう。私はロワールを離れた時から、世の無常さを味気なく感じ、勤業のほかにはする事がないまま月日が経つうちに、すっかり気が弱くなっています。『そのような娘さんがおられる』とは薄々聞いておりましたが、私のような落ちぶれ者を『忌まわしい奴だ、と相手にしてくださるまい』と諦めておりました。それでは引き合わせてくださるのですね。心細い独り寝の慰めにもなりましょう」などと願いを受け入れましたので、修道僧は「この上もなく嬉しい」と感激しました。
(歌)独り寝をされて お分りになったことでしょう 所在なく物思いで夜を明かす サン・ブリューの浦の心淋しさを
「こうして長い年月、気持ちが晴れないまま願い続けてきたことをお察しください」と話す声は震えていますが、上品な感じがしないでもありません。
「それでも貴方はこの浦に住み馴れておられますから」と言いつつ、
(歌)旅の生活のうら悲しさに 夜を明かしかねて 安らかな夢を見ることは ありませんでした
と打ち解ける様子は、とても愛敬があって、言いようもない風情です。
在家僧は娘について面倒くさくなるほど数知れず語り尽くしました。誤ったことなどを記してしまうと、馬鹿げたほど頑固一徹な在俗僧の性分が浮き出しになりすぎてしまうことでしょう。
著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata