その25.蛍          (ヒカル 35歳) 

 

3.絵入り物語と物語論

 

 長雨が例年よりも長く続いて、晴れる時もなく退屈なので、ヴィランドリー城の女性たちは絵入り物語の読み描きなどで慰めています。サンブリュー上はこうしたことにも造詣が深いので、写し描きした絵入り物語をサン・ブリュー姫に贈りました。

 まして玉鬘は性分も合うので、「珍しい体験だ」と写し書きや読書に精を出しています。若い侍女たちの中にも、絵入り物語に精通している者が少なからずいました。

「様々に珍しい身の上の人物が本当のことや嘘を取り混ぜながら書かれているが、自分のような境涯の者はいないだろう」と玉鬘は感じながら読んでいます。「マルセイユの物語」は筋書きが面白いので、元々評判が高いのはもっともなことですが、現在でも並々ならぬ人気です。主人公の姫君を財務官長がすんでのところで奪いそうになる場面では、あのサミュエルの恐ろしさを思い出しています。

 

 玉鬘に逢いにやって来たヒカルは、絵入り物語の冊子があちこちに散らかっているのに眼をやりました。

「まあ、困ったものだね。女というのはうるさがりもしないで、男に騙されるように生まれて来たのでしょう。こうした絵入り物語が真実を語っていることはいたって少ない、というのに。それを承知しながら、こうしたあてにもならない話にうつつをぬかし、引き込まれてしまいながら、この蒸し暑い長雨の間、髪の乱れるのを気にもせずに書き写しているとはね」と笑いました。

 

「それでも、こういった昔物語に熱中でもしなければ、他に気を紛らわすこともできないからね。こうした作り話の中には、『なるほど、そうしたこともあろう』と同情させながら、もっともらしく書き続けていると、『とるにたらないこと』と承知しながらも、わけもなく心が動いてしまうことがある。可愛げな姫君が物思いに沈んでいるのを読むと、つい釣り込まれてしまうこともある。また『こんなありえないことが』と読んでいくうちに、大袈裟な書き方に眼が眩んでしまって、後で冷静に考えてみると腹が立ってしまうのに、ちょっとしたことが飛び抜けて面白い、といったこともあるだろう。

 この頃、サン・ブリュー姫が時折り、侍女に読ませているのを聞いていると、『世の中には語り上手な者もいるものだ』と感心する。嘘めいた話を手馴れた口調で話しているのだと思われるが、そうではないだろうか」と講釈をしました。

 

 聞いていた玉鬘は「確かに嘘をつくことに馴れている人は様々に想像をふくらませるのでしょう。私などは本当のことだ、と素直に思い込んでしまうのに」と書き写し用に使っていたインク壺を脇に押しやりました。

 

「出し抜けに物語をけなしてしまいました。物語というものは、神話の時代から世の中にある出来事を記していたものが始まりなのでしょう。『年代記』などは、断片だけを記述しているだけにすぎず、物語の方が道理にかなったことが詳しく書かれているのだろう」と言って笑います。

「ある人物の伝記というものは、その人物のことを事実のままに語る、というのではなく、良きにつけ悪しきにつけ、世の中で経験した人の有り様を、読んでいても飽きさせずに、聞いたことをそのままにしてはおけないこと、後世に語り伝えておきたいあれこれを、心に閉じ込めておくことができずに、良い方向に書く時は良いことばかりを選び出します。読者におもねようとする場合は悪いことや珍しいことを書き連ねたりするが、すべて、それぞれ本当のことで、人間社会とは別のものではないのです。但しイタリアの物語は記述の仕方が変わっているようですし、同じフランスの物語と言っても、昔と今のものでは相違があります。深い浅いの区別はありましょうが、ひたすら虚構であると断言する、と言っても実情は違っていることもあります。

 旧約や新約聖書の聖者がとても麗しいお心で説かれておられる教えにも、ものの方便ということがあって、悟っていない者はあちこちで違っていると疑いを持つことがあります。そうした傾向はことに旧約聖書の『十二の小預言書』などの方便によく見受けますが、つまるところ主旨は同一で、『悟りと煩悩』との違いなのです。これは物語でも同じことで、読み方で人の良し悪しが変わります。よく解釈するなら、何事もすべて、空しいことはない、ということです」と、物語の効能を大層評価したりもします。

 

「それはそれとして、読んでいる古い物語の中に、私のように誠実で愚直すぎる男が書かれているものがありますか。ひどくよそよそしくしている姫君でも、あなたのお心のようにつれなく、空とぼけている人は、物語にも存在しないでしょうね。ですから、あなたと私とのことを類のない物語にして世に伝えたいですね」と言いながら、玉鬘に近寄って囁きます。

 玉鬘は顔を襟の中にすぼめながら、「物語にしなくても、後親が言い寄ってくるようなことは世間の噂になってしまうでしょうに」と言いますと、「そんなことが珍しいこととお思いですか。まあ、何と言う、またとないあしらい方ですな」と寄り添ってくる様子は大層戯れ事めいています。

 

(歌)思案のあまり 昔の本をあさってみたが 親に背いた子供の例はなかった

親不孝は聖書の教えでも堅く誡めていますからね」と言ったりしますが、玉鬘は顔を上げようともしません。

 ヒカルは玉鬘の髪を撫でながら、ひどく恨むので、やっとのことで玉鬘が返歌をしました。

(返歌)私も古い本をあさってみましたが こんな親心を持っている人は この世におりませんでした

 さすがにヒカルは気恥ずかしくなって、それ以上は戯れることはしませんでした。このような二人の間柄はどんな風になっていくのでしょうか。

 

 物語に関しては、紫上もサン・ブリュー姫の希望もあるので、捨て難い思いでいます。「ヌーヴェル(Nouvelles)」の短篇恋愛小説の絵の箇所を「とても上手く描かれている絵だこと」と言いながら見ています。まだ七歳と小さい姫が無心に昼寝をしているところが、昔の自分の姿のようだ、と思い出しながら見つめています。

 それを見たヒカルは「こういった幼い子同士でも恋の戯れ合いはあることだろう。私などは例えに出せるくらい、のんびりしていて人とは違っていましたがね」と紫上に話します。とは言うものの、世間に類がない恋愛ごとを好んで経験したこともあったでしょうに。

「こうした男女関係を描いた物語など、姫君の前で読み聞かせてはいけないよ。秘かに恋をする娘などというのは、悪いわけでもないが、世の中にこんなこともあるのだ、と思うようになったら危ないからね」とも言いますが、玉鬘が聞いたなら「実の娘さんには厳格なのですね」とひがんでしまうことでしょう。

 

「浅はかに人の真似をするだけの登場人物というのは、読んでいても嫌になってしまいます。『薔薇物語』に登場する女主人公の一人はとても思慮深くしっかりしていて、過失を犯すようにもありませんが、あまりにもずけずけと話したりする点は女性らしさがなくて、月並みです」と紫上が話しますと、ヒカルは「現実の人にもそういう人はいますよ。いっぱしの一人前ぶって、一本調子で押し通して、ほどよい加減というものを知りません。見識のある親が気をつけて育てた娘でも、無邪気なままで大事に育て上げてしまうと、大人になるのが遅くなる事例が多くて、『一体、どんな育て方をしたのだろう』と親の躾までが思いやられて、気の毒になります。とは言っても、『逆にその人柄が良い』と思われるような娘は親も育てた甲斐があって、晴れがましいことだろう。

 周りの者が言葉の限り褒めちぎる娘でも、しでかす行為や口に出す言葉に『なるほど』と肯くようなところがないと、ひどく見劣りがしてしまう。何事もつまらない人間には決して褒めさせないことですね」などと、将来のサン・ブリュー姫が非難されないように、と色々と気を使っています。

 

 継母が意地悪な昔の物語も多くありますが、紫上は「継母の心が見え透いて好きになれない」と考えますので、厳選しながら写し書きをさせたり、絵なども描かせています。

 

 

4.ヒカルの中将(夕霧)・アンジェの中将(柏木)・内大臣アントワン、各自の悩み

 

 ヒカルは息子の中将の君を紫上には近づかせないようにしていましたが、サン・ブリュー姫とは疎遠させずに出入りを許していました。

「自分が生きている間は、近づけるのも遠ざけるのも、どちらにしても同じことだが、自分の死後を思いやると、今のうちから出逢って馴染みあっておいた方が、格別に情愛が深まるに違いない」と、姫君がいる南に面した部屋に入ることは許していました。但し侍女たちの控え室への出入りは許していません。

 

 実の子供が少ないことから、ヒカルはサン・ブリュー姫と中将の君を大層大切に可愛がっていました。中将の君は全体として性格なども大層慎重で真面目なので、ヒカルは安心して姫君の介添え役をさせていました。七歳になってもまだ子供っぽい姫君の人形遊びなどに付き合いながら、あの雲井雁と一緒に遊んだ歳月を真っ先に思い出します。人形の王宮遊びの相手をまめまめしく務めながら、折々、雲井雁を思い出して涙で袖を濡らしていました。

 しかるべき若い女性たちに戯れ事を言うことは度々ありますが、将来に望みを抱かせるようなことはしません。「この人とはなぜか逢っていたい」と心にとめる女性もいましたが、意を強くして適当な言葉で濁します。やはり「下っ端の官位六位が着る『緑色の袖』と馬鹿にされたことを見直させなければ」と思う一念だけを重要事項としています。強引に雲井雁につきまっとって誘惑するなら、その狂おしさに根負けして、内大臣も許してくれるだろうが、「辛すぎる」と思う時でも「何とか叔父の内大臣の方から、雲井雁との結婚を願い出るようにせねば」と心に誓ったことを忘れることができません。当人にはおろそかにせずに愛情をこめた手紙を送りながらも、表面的には恋焦がれているようなところは見せませんので、雲井の雁の兄弟たちはそうした態度を小憎らしいと恨むことが度々ありました。

 

 内大臣の長男のアンジェの右中将は玉鬘に大層深い思いを寄せていますが、言い寄る手段は玉鬘に仕える童女アリスを通じてだけで、あまりあてにならないので、中将の君に泣きついたりしますが、「面倒だから」とつれない返事をしています。なんだか若い頃のヒカルとアントワンの両大臣の関係によく似ています。

 

 内大臣は正夫人や愛人たちともうけた子供が大勢いましたが、権力の威勢も良いことから、母方の身分や息子たちの人柄に応じて、思い通りに各人の適した地位につかせていました。娘は多くはなく、冷泉王の貴婦人となった長女のアンジェリクも王妃にとの折角の願いが叶えられず、雲井雁も太政大臣の息子との一件で、希望していたことと違うようになってしまったので、悔しく思っています。

 

 それにつけても、あの雨夜の品定めでヒカル達に打ち明けた撫子のことは忘れてはいません。

「あの子はどうなっているのだろう。何となく頼りなかった母親の性格に引きずられるままに、あの可愛い子は行方知らずになってしまったのだろうか。すべて女の子というものは、どんなことがあっても決して目を離してはならないものだ。こざかしく内大臣の娘と吹聴しながら、みすぼらしい姿でうろついているのではなかろうか。いずれにせよ、名乗り出て来てくれるなら」と案じ続けていました。

 息子たちにも「もしそのように名乗り出る者がいたら、聞き逃さないでくれ。私も若い頃には興に任せて、感心できないことも沢山してしまったが、そんな中で、その子の母は他の女性たちとは同じようには思っていなかった。つまらないことに悲観して行方をくらませてしまい、それがために数少ない娘の一人を失ってしまったことが悔しくてならない」と常日頃から話していました。

 

 さして遠くでもない昔は、その子についてはそれほどでもなく、忘れていたこともありましたが、他の人が自分の娘を大切に盛りたてているのを見ると、自分が娘たちを思うようにさせられなかったのがすごく残念で、不本意なことと思っていました。

 ある晩、夢を見て、よく当てる夢占い師を呼んで解かせてみますと、「長年、居所を見失われておりますお子さんが、人のものになっていることを聞き出すようなことがあるかも知れません」と説明しましたので、「女の子が他人の養女になる、というのはあまりないことだ。一体、どういうことなのだろう」などと、ようやくこの頃になって、考えてみたり人に話したりしています。  

     

 

 

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