多神教文化の見直しと日本の進む方向
一一 一神教的なグローバリズム(世界統一主義)と
多神教的なコスモポリタニズム(世界市民主義)の違い ――
1.新しい時代への模索で苦慮するフランスと西ヨーロッパ諸国
振り返ってみると、フランスに居を構えるようになってから、半世紀がたってしまっている。この50年間を思い出してみると、フランスにも随分と変化があったことに驚かされる。
(日本に対する意識の変化)
半世紀前は1974年となるが、1945年の日本の敗戦のしこりや反動がまだまだ残っていた時代である。その当時と現在との主な相違例を挙げてみる。
―日本と中国、インドシナ諸国との文化・社会的な違いが曖昧だったが、三者の相違
が明確になっている。
―生魚を食べる野蛮な国民
⇒ スシのブームなどで日本食は健康、ダイエットに良い。
―メイド・イン・ジャパンの製品は安いが品質に劣る
⇒ 日本製はハイテク率が高く、信頼できる。
―日本製のアニメやマンガはアメリカのディズニーに較べて低俗だから、良識な親は
子供に見させない、読ませない。
⇒ 「アルプスの少女ハイジ」などを通じて、フランスだけでなく西欧諸国で人
気を得ている。
(フランス社会の変化)
真っ先に挙げられるには移民の増加と治安の悪化である。原因は第二次大戦後の経済復興の過程で、フランス政府は国内の産業が労賃の安い国外へ流失することを防止する目的で、積極的に北アフリカのイスラム圏やアフリカ諸国などの人々を労働力として招き入れた。1980年代に入ると、ベトナム戦争の影響で中華系を主体にしたインドシナ諸国からの難民を受け入れた。2000年代に入るとEU(欧州連合)の拡大と域内の人の移動の自由化により、東欧諸国からの移民が増大した。
この結果、パリなど大中都市のバスや地下鉄に乗ると、半数以上が根っからのフランス人ではないことが一目瞭然となっている。それを話すと娘から「パパだって移民ではないか」と皮肉られたりするが、治安が悪化し、過激なテロに加えて、世界中からプロのスリが集まっていると思えるほど、のんびりと街中を歩くことが難儀になっている。
その反面、肯定的な側面では移民層が出生率の減少に歯止めをかける役割を果たしていることも事実である。イスラムや黒人系の少女でも幼稚園からフランス教育を受けている三代目になると、すっかり街中に溶け込んで、フランスらしいエレガントな仕草を見せて、はっとさせられたりする。「三代目から江戸っ子」という言い回しはこういうことなのかと納得したりする。
三代目に入るまでには半世紀、約50年の歳月がかかるだろうが、西欧諸国はアメリカも含めて、白人主導型から多民族化、人種の共生化、コスモポリタン(世界市民)化が進んでいることを実感しつつ、「自分も日本人であると同時にコスモポリタンになっているのだ」と自覚するようになっている。
2.グローバリズム(世界統一主義)VS(対)
コスモポリタニズム(世界市民主義)
この半世紀で大きく変貌したことは、デジタル技術とコンピュータ、モバイル(携帯電話)の進歩で、グローバル化が急速に進んだことにある。ことにアメリカ主体のグローバル化の象徴のように、マイクロソフト、アップル、グーグル、イーロン・マスク氏に代表されるペイパル・マフィア、アマゾン等のアメリカ発のサービスは日常生活に不可欠な存在となっており、奴隷下に置かれてしまっている、との思いもする。
こうした中で日本発のトロンとQRコードが気を吐いていることに注目していると、グローバル(Global。世界的な規模)と総称しながらも、グローバリズム(Globalisme。世界統一主義)とコスモポリタニズム(Cosmopolitanism。世界市民主義)に大きな差異があることを考えるようになった。
坂村健氏が開発したトロン(TRONプロジェクト)は OS(オペレーティングシステム)を無償で公開、デンソウウェーブの原昌宏氏の発案した、バーコードと同様に商品管理をするQRコードは特許を無料公開した結果、自然と世界中に活用されるようになっている。孫正義氏が率いるソフトバンク・グループはアメリカ発のグローバリズム型に当てはまるが、トロンとQRコードはコスモポリタニズム型に属し、これこそが日本が進むべき方向ではないか、との思いに至った。
(日本発のグローバリズム型はほぼ不可能か不向き)
二十年以上の前のことで、もう忘れられた話題になっているが、NIHKが主導するHDTV(高細精度テレビ)を世界規格化にする試みが進められたことがある。日本の新聞等では世界規格化の成立はほぼ確定、との報道もされていたが、パリ在のジャーナリストして、「世界規格化は不可能」といった論陣を張り、NHKのパリ支局の方から、「あまり書き立てないでくれ」と電話で文句を言われたことがある。私が「不可能」と言い切ったのは、世界規格化は国連の決議と同様に一国一票の投票で決定するため、過半数の国からの支持を得る必要があることにある。折からNHKに対抗してフランスのトムソン(Thomson)社が独自規格を主張し、ドイツも別の規格を公表し、三つ巴の様相となった。これに対しイギリスとアメリカは様子見の態度でいたが、フランスは旧植民地諸国の票をまとめ上げることができる上に、残念ながら日本は過半数を集めるだけの国際政治力が欠けていることにあった。
いくら技術力に長けているから、と言って世界統一化ができるわけではないことは。
同じ頃の半導体分野でも同様である。その当時、日本勢が世界市場を席巻していたが、それに危機感を覚えたアメリカのアップルやグーグルはスマートフォン(アイフォンやアンドロイド)などに使用する半導体の設計を変更し、韓国、台湾、中国のメーカーに発注した。これにより日本の半導体の生産が衰退してしまった。
HDTVにせよ、半導体にせよ、技術力さえあれば、世界を席巻できる、という過信や、錯覚があったことは否めない。
アメリカ発は攻撃性が高いグローバリズム型、日本発は攻撃性が薄いコスモポリタニズム型ではないかと、前者と後者を対比していくうちに、グローバリズムは一神教的、コスモポリタニズムは多神教的ではないか、一神教対多神教の構図で区分けしてみると理解しやすいことに気づいた。
両者はグローバル化の総称の下で混同されやすく、独裁化や全体主義の方向に進みがちのグローバル型にコスモポリタニズム型が悪用されてしまいがちであるし、国連の動きは両者が混在しているものの、コスモポリタニズム型はグローバル型に振り回されているのが現状となっている。
コスモポリタニズムの起源は古代ギリシャのディオゲネスの提唱にあるが、十八世紀末のイマヌエル・カントのコスモポリタニズム観は白人優位の立場に立っており、白人文化が未開諸国を教示していく、という十九世紀の欧米諸国による帝国主義、植民地主義の後押ししたことは否めない史実である。
(一神教と共産主義)
現状の一神教の起源は善の神アフラ・マズダ、悪の神アーリマンの善悪二元論のゾロアスター教にあり、バビロン捕囚時にその影響を受けたユダヤ人がユダヤ教を確立し、ユダヤ教に触発されたムハンマドが民族の壁を取り払ってイスラム教が誕生したわけだが、いずれも強烈な覇権主義の性格を有している。
同じく覇権主義の共産主義は一神教の裏返しにすぎない。しかしパソコンやスマートフォンの普及が進むにつれ、偽善者がおとなしい市民を低いレベルで統制し、自由度に欠けることが鮮明になっていくことから、二十世紀の遺物になりつつある。現在の世界での大規模戦争は相も変わらずユダヤ教、イスラム教と共産主義の三者の利害対立に起因していることも事実である。。
(キリスト教の二面性)
「源氏物語フランス・ルネサンス版」を制作していく過程で、平安時代を舞台にした源氏物語と十六世紀のフランス・西欧の歴史に親和性があることに驚き、イエス・キリストは原始仏教とヘレニズム文化が融合する渦中の一世紀前半のアフガニスタン東部とパキスタン西北部のガンダーラ地方に滞在して、影響を受けたのではないか、新約聖書は大乗仏教と同じ基盤で誕生した、との推論に至った。
(参照 カオル篇で紫式部が当初着想していた筋書き ⇒ タキシラ 大乗仏教 イエス・キリスト)
キリスト教に登場する「聖人(セイント)」を神道的な「神」に置き換えると、キリスト教にも多神教的な要素が濃く見られることから、キリスト教は旧約聖書のグローバリズムと新約聖書のコスモポリタニズムとの二面性をうまく使い分けて来たことが分かった。
(多神教の再考察)
欧州では古代ローマ文化から脱却した中世以来、多神教は「自然界のそれぞれのものに固定の霊が宿ると見なす原始的なアニミズム」と蔑視される風潮が支配的となり、日本においても明治維新以後、一神教に対するコンプレックスを抱く知識人が少なからず存在してきた。
現在では、多神教が濃く残っているのは、神道の日本とヒンズー教のインドで、他の諸国はグローバリズム型の宗教の中に組み込まれてしまっている。日本が欧米諸国とは異なる点は、日本は神道という純オリジナルな多神教と、多神教的な要素が濃いコスモポリタニズムの仏教の両者が並立する中で、覇権主義的なグローバリズム型が希薄な点にある。この点が、多民族化、人種の共生化、コスモポリタン(世界市民)化が進行しつある西欧諸国やアメリカに向けての強みになっていくようである。
4.日本の進む方向
現時点でもロッチルドに代表されるユダヤ系が、世界の金融世界を主導していることもあって、依然としてグローバリズムがコスモポリタニズムよりも優位に立っている。
そうした中で多神教の文化を一万年間も持続してきた日本文化にとっては追い風が吹いてきているようでもある。トロン QRコードだけでなく、日常生活用品の無印、 ユニクロ ダイソー、 外人旅行者に人気が高まっている多様なアイデアに富んだ駄菓子類なども、コスモポリタニズムの要素が強い。スタジオジブリの宮崎駿監督作品に代表される日本製アニメにも同様の傾向が感じられる。
日本が自国のオリジナリティ、独自性、ナショナル・アイデンティティを守りながら、国内のコスモポリタン化を軌道に乗せたモデル国、多神教主義の復権の旗頭となり、グローバルな多神教ルネサンスへと広げていけたら、というのが目下の夢となっている。
日本神話だけでなく、ギリシャ神話、北欧神話、ケルト神話、インカ神話などの世界各地の神話の中に、自然環境の変化などに対応してきた、人間社会の長い歴史が秘められており、その解析が次世代に向けた解決策となる可能性もある。グローバリズム型の攻撃性を柔らげて、大規模な戦争を防止する役割も果たしていく。
但し、一万年の継続性を持つ日本社会の、人種の多民族化や共生化は欧米諸国よりも時間がかかることは否定できない。三世代50年ではなく、六世代100年、一世紀のゆっくりした歩調で進めていくのが穏当な方向と言える。