その13.サン・ブリュー
5.ヒカル、サン・ブリュー上との贈答と、紫上への思慕
在家僧は長年の願いが叶った心地がして、すがすがしい気持ちになりました。ヒカルは翌日の昼頃、山手の邸にいる娘宛てに手紙を送ります。在家僧の話を聞いていると、娘は奥床しい様子ですが、かえってこんな辺鄙な場所にこそ、意外な女性がいないでもない」と気をつかって、フランドルのクルミ色の紙に何とも言えないほど体裁を取り繕って、
(歌)何も分からない土地にやって来て 侘しい月日を送っていましたが お噂を耳にして 便りを差し上げます
(歌)貴女を恋しいと思う気持ちを 我慢しようとしても負けて逢ってしまいたい お逢いできるなら
どうなっても構いません
といった内容でしたでしょうか。
在家僧は「人に知られないようにして、手紙をお待ちしよう」と山手の邸に戻っていましたので、手紙を持って来た使いにふんだんに酒を振舞います。ところが娘は返信を書くのに時間がかかっています。在家僧は娘の居間に入って急がせますが、娘は聞き入れようとはしません。こんな見事な文面に返事を書く自分の筆跡が恥かしく気後れがして、相手の身分と自分の身のほどを思い較べているうちに「気分が悪くなった」と言って横に臥してしまいます。持ち余してしまって、僧自らが書きました。
「もったいないお手紙をいただきましたが、その嬉しさは田舎娘の袂では包みきれないようでございます。あまりの畏れ多さに、お手紙をまともに読むことができないようです。それと申しますのも
(歌)物思いされながら 眺めていらっしゃる空と 同じ空を眺める娘も きっと同じ気持ちだからなのでしょう
と私には思われます。 柄にもなく色めいたことに触れてしまいましたが」と書きます。 羊皮紙にひどく古風ですが、書き方が由緒ありげです。
「なるほど、風流ぽくしたためてある」とヒカルは僧からの返信を気に食わない顔で読みました。それでも手紙の使いの者に格別な衣裳などを託けました。
次の日にヒカルは「代筆の返信などもらったことはありません。
(歌)いかがですかと 尋ねてくれる人もいず 私は独り悶々として 心の中で悶え悩んでいます
(歌)恋しいと思いながら まだ出逢うことができない人が 言い渋っているのは 何とも嘆かわしいことです
と、名歌にもありますよ」と今回は大層しなやかな薄紙に、とても美麗に書きました。
若い娘がヒカルからの手紙に感動しなかったら、あまりに引っ込み思案だと言えましょう。娘は手紙を「有り難いこと」とは感じますが、釣り合わない身分のほどを考えると、ひどく不甲斐なさを感じます。それなりに恋の相手として手紙を送ってくれることが嬉しく涙ぐみますが、それでも返信を書く様子はありませんので、父親から責められて、しっとりと香を染み込ませた紫の紙に黒インクの濃い目と薄目を書き紛らわせて、
(歌)私を思ってくださるとおっしゃいますが その真意はいかほどでしょうか まだ出逢ったこともない御方が
噂だけで悶々とされるのでしょうか
と書きました。筆跡や書き具合など、高貴な人に較べてもそれほど見劣りはせず、都の貴女といった感じです。
娘からの手紙を読むと、ヒカルは都ロワールを思い出して、「中々良いではないか」と感じますが、頻繁に手紙を送るのは人目がはばかれますので、二、三日置きくらいに、時間をもてあます夕暮れやもしくは、物悲しい明け方などに紛らわせて、その時々、相手も同じ気持ちにふけっていそうな頃を見計らって手紙をやり取りしてみると、まんざらでもありません。
「思慮深く、気位を高く持っている様子なので、一目でも逢ってみたい」と惹かれていきますが、オリヴィエが自分の女のように吹聴していたことも気に食わないし、長年、望みを抱いていただろうに、眼前で鼻をあかしてしまうのも気の毒であると考えあぐねて、「相手の方から積極的に来るなら、それにかこつけて紛らわせてしまおう」とと思っています。娘の方はかえって高貴な人以上に自尊心が強くて、しゃくにさわるほど焦らすようにしますので、根競べのように日々が過ぎていきます。
ヒカルはサン・マロよりさらに西に流れて来て、ロワールの女君のことがますます気掛かりになります。「どうしたらよいだろう。冗談ではないほど恋しい。いっそのこと、内密に呼び寄せようか」と気弱に考える折々もありますが、「そうは言っても、こうやって年を重ねて行くことはないだろう。今さら、世間体が悪いことをしても」とその思いを引っ込めてしまいます。
6.朱雀王の夢と変事、ヒカル召還の思いとミラノ公国奪還
その年は、王宮では公的にも何かの前兆のようなことがしきりに起きて、慌しいことが多くありました。太政大臣も老衰もあってか寝込むことが多くなっています。
四月中旬、雷が鳴り閃き、雨と風が吹き荒れる夜、朱雀王の夢に故桐壺院が現れ、内庭の階段の所に立って、ご機嫌が悪い顔つきで睨みつけますので、王さまはかしこまって拝聴します。故院から色々な仰せ事が多くありました。恐らくヒカルの処遇に関することだったのでしょう。
王さまは「とても恐ろしく、気の毒でもある」と思って、皇太后に報告しましたが、「雨などが降って空が荒れている夜は、心に気にかけていることが悪夢となって現れて来るものです。そのように軽々しく驚いてはいけませんよ」と皇太后が諌めます。
夢の中で故院が睨みつけた時、眼を見合わせましたが、その際に眼を患ってしまったようで、その後は堪え難いほどの苦痛に悩まされるようになりました。謹慎のミサが王宮でも皇太后が住むショーモン城でも執り行われます。ブロワ駐在のローマ教皇大使は王さまの病気を知って、「当面、フランス軍のイタリア侵攻はありそうもない」とローマに報告します。
病床の朱雀王はイタリア侵攻計画の進捗状況が気になって、密かに計画の主要な推進役を担っているルーアンの枢機卿を呼び寄せます。「今はもはや太政大臣の意向を気にする必要もない。自分の意思でミラノ公国奪還を果たしてみせよう」と意を決して、「自らは遠征軍を率いることは出来ないが、予定通りイタリア侵攻を実施するように」との王令をくだしました。
それから数日して、太政大臣が他界しました。もう高齢でしたから不思議はありませんが、ブロワ王宮の内外では次々と不穏な動きが広がりました。それでもイタリア進撃の王令が表沙汰になると、有力な高官や地方の豪族は雪崩を打つように枢機卿側に鞍替えしていきます。そうした中、皇太后も何ということなしに、病に臥すようになってしまい、日が経つにつれ衰弱の度が増していきます。母を思うブロワ王宮の朱雀王の心痛は並大抵ではありません。
「やはりヒカル君は、本当に犯した罪ではないまま逆境に沈んでしまっていますから、必ず報いを受けることになると感じます。もう元の官位に戻しましょう」と母の皇太后を度々説得するのですが、「それでは軽率すぎると世間が取り沙汰してしまいます。罪を恐れて都を去って行った人を三年も経たずに許してしまったら、世間の人たちが何と言い触らすことやら」などときつく諭しますので、王さまがためらっているうちに月日が経っていきますが、二人の病状は段々と重くなっていきます。
枢機卿の密使からイタリア攻撃の王令を受け取ったアントワンを含めた将校たちは、ドーフィネ(Dauphiné)地方に散らばせて訓練をさせていた兵士たちをグルノーブル(Grenoble)に集結させました。その間に枢機卿を中心にした外交陣はヴェネツィア共和国との同盟を再確認した後、分裂した神聖同盟の参加国と個別に交渉を進めて行きます。
イングランド王国とは前年に結んだ平和条約を再確認して大西洋側の治安を固めました。ローマ教皇は朱雀王のスミレ貴婦人が同じフィレンツェのメディチ家出身でしたので、貴婦人の人脈を使って懐柔を進めました。神聖ローマ帝国のマキシミリアン皇帝は再婚相手としてミラノ公家の公女を迎えたことによって、ミラノ公国を陣営に引き込んだものの、桐壺王にミラノ公国を奪われて以来、フランス王国の最大の敵となっていましたが、フランス側が先手を打ってドイツとネーデルランドの傭兵をイタリア侵攻で雇用することにしたことから、黙認の態度を取ることにしました。皇子と皇女を通じて縁戚関係でつながるようになったスペインのアラゴン王も皇帝に同調しました。
七月中旬になって、ようやくローマ教皇はミラノ公国に復帰したミラノ公支持を公表しましたが、実質的にミラノ公を守る軍団はスイス兵のみとなってしまいました。
最終的にフランス軍は、騎兵隊九千人、鉄砲隊と弩(大弓)隊を含んだ歩兵三万人、工兵隊三千人、ドイツとネーデルランドの傭兵二万二千人と、総計約六万四千人、青銅製の大砲六十九台の大部隊に膨れ上がりました。迎え撃つスイス軍は総勢三万二千人で、ブリアンソン(Briançon)からモンジュネーヴル峠(Col du Montgenèvre)を越えてイタリアに入る主要街道のスズ(Suse、Susa)と分岐街道のピニェール(Pignerd、Pineralo)で待ち構えます。
ところがフランス軍は意表をついてモンジュネーヴル峠よりも南に下った二級街道のラルシュ峠(Col de Larche)を越えてストゥーラ(Stura)渓谷を下り、トリノを経由せずにミラノへ攻め上がる作戦を取りました。ラルシュ峠は難路で、軍馬も足踏みをしてしまうほどでしたが、先頭を進むアントワンがまたがる、ヒカルが贈った黒馬が一度いななくと、他の軍馬も鼓舞されて前進を始めました。
肩透かしをくったスイス軍の統率は乱れ、九月十三日と十四日にミラノに迫ったフランス軍とマリニャン(Marignan、Melegnano)で激突したものの、フランス軍が勝利をつかみとって、三年ぶりにミラノ公国奪還を果たしました。
7.ヒカル、サン・ブリュー上に逢う、サン・ブリュー上の煩悶
フランス軍の勝利とミラノ共和国奪還の急報はサン・ブリューにも届きました。フランス軍の勝利とアントワンの無事を知って安心したものの、自分とはかけ離れた、遠い国の出来事のように感じて疎外感がますます強まってしまいます。
サン・ブリューは例年のように、秋の浜風が烈しく吹いて、独り寝がしみじみ物侘しくなりますので、
在家僧に娘のことを時々催促をします。
「何とか目立たないようにして、娘さんをこちらに差し向けてください」と言って、自分から山手の邸に出向くことはありえないこと、と考えています。
娘の方も同じように自分から進んで海辺の邸へ行く気はありません。「取るに足らない月並みの田舎娘だったら、一時的に下って来た都の人の甘い言葉に乗せられて、そのまま軽々しく愛を受け入れてしまうものだ。どうせ私などを人の数に入れてはおられないのだから、並々ならない物思いの種を増やすだけだ。ヒカル殿と一緒にさせようと望みを抱いている両親も、礼拝堂にずっと籠もって祈っていた頃は、あてにならないことをあてにするだけで済んでいたものを、実現するとなると、ひどく心配しつくしてしまうことになるだけだ」と思います。
「ただ、このサン・ブリューの浦におられる間、こういう風に手紙のやり取りをさせていただくだけで何よりなのだ。長年の間、噂だけを耳にしながら『いつかは、その御方の有様をちらっとでも拝見してみたい』などと遠い世界のように思っていたのに、こうして思い掛けなくこの土地に住まわれることになって、直接ではないものの、ほのかに垣間見ることができた。『世に類ないほど』と伝え聞いていたハープの音も風に乗って聞くことができたし、日常の暮らしぶりも親しく知らせてくれるようになったし、私のことを目にかけてくれて恋文をくれるまでになった。こんな海辺の田舎で朽ち果てる身としては、有り余る光栄だ」などと思うと、ますます気後れがして、お側について愛人になるなどとは露ほども思いつきません。
両親も長年の祈りが叶いそうになった、と思いながら、「軽はずみに娘と逢わせて、気に入られなかったとしたら、どんなに嘆くことになるだろう」と想像すると心配になって、「結構な御方と聞いているが、ひどい仕打ちをされることもあるだろう。眼に見えない聖人や神を頼みにしてきたが、相手の気持ちも娘の運命も考慮していなかった」などと、今になって二の足が踏まれて煩悶します。
ヒカルは「この頃の波の音を聞くにつけても、娘さんの奏でる音を聞きたいものだね。そうでもないと、心待ちにしていた甲斐がない」などと、いつも在家僧に話します。僧は内密に占星術師に吉日を調べさせ、母親が何やかやと思案するのも耳に入れず、弟子たちにすら知らせずに、自分一人で立ち振る舞って邸内を輝くばかりに飾り立て、十三日目の月が花やかに射し出した夜に、
(歌)この良い夜の月と花を同じ見るなら 心を知れ合った人に見せて 一緒に味わってみたい
とよく知られた歌だけをそれとなく伝えました。
「何とも風流ぶっていることだ」とヒカルは苦笑しましたが、プルポワン(上着)を着こんで身づくろいをして、夜が更けるのを待って邸を出ます。馬車がまたとないほど立派に用意されていましたが、「仰々しい」と言って、馬に乗って出掛けます。コンスタンなどわずかな者をお供に連れて行きます。
山手の邸は少し遠く入り込んだ所にありました。道すがら途中の浦々を見渡しながら、気があった人と眺めてみたい入り江の月影を見ると、真っ先に恋しい御方を思い出して、このまま馬を走らせてロワールへ戻って行きたい気がします。
(歌)秋の夜の月毛(淡栗毛)の馬よ 束の間でも恋しい人に逢いたいので ペガサスになって空を飛翔して
ロワールへ行ってくれ
と独り呟きます。
山手の邸の造りは木々がこんもりと繁り、心憎いほど数奇を凝らした見所がある住まいでした。海辺の邸は堂々としてそれなりの興趣があるのですが、こちらの方はひっそりと住んでいる様子です。「こうした所に暮らしていたら、思い残すことはないだろう」と感じてしんみりします。礼拝堂が近くにあって、鐘の音が松風と響きあって物悲しく、岩に張り付いている松の根の張り具合も風情があります。前庭には秋の虫が集まって鳴いています。
ヒカルは邸内をぶらつきながら、様子を伺ってみます。娘が住んでいる建物は格別に磨きたてられていて、月光が差し込んでいる楢(ナラ)製の戸口は心なし押し開けています。中に入って何やかやと話しかけてみますが、娘の方は「ここまで間近に出逢うことになるとは」と考え込んでしまって、溜息をつきながら、気が許せない気配です。
「格別な女だと気取っているのか。もっと身分が高い者でも、ここまで言い寄るとさほど強情を張ることはないのが通例だが、落ちぶれた今の私を侮っているのであろうか」と憎らしくなって、あれこれと焦慮をしてしまいます。
「容赦なく無理強いをしてしまうのは本意ではない。それでも根競べに負けてしまうのは体裁が悪いし」などとやきもきする様子を本当に物の情緒を知っている人に見せてやりたいほどです。
近くの部屋にかかるカーテンの紐がスピネットの鍵盤にあたって鳴ります。そのしどけない気配から、少し前までここでくつろぎながら慰みに弾き鳴らしていた様子が偲ばれて、興味を引かれつつ、部屋に入って「かねてから聞いております、そのスピネットを弾いてみてください」などと口説いていきます。
(歌)この辛い世の夢が いくらかでも覚めてくれないかと 睦言を語り合える相手が欲しいのです
とヒカルが詠みますと、不意の闖入に驚きつつ娘が歌を返します。
(歌)まだ明けきらない夜の闇に 迷っている心では いずれが夢か いずれが現実か 区別して話しようがありません
娘のほんのりした物越しはランスにいるメイヤン夫人にとてもよく似通っています。何も知らずにくつろいでいたところへ、ヒカルが突然入ってきたので、「直にお相手をするようになるとは」と当惑してしまって、近くの部屋に逃げ込んでドアを固く閉めまいます。ドアは力をこめて開けようとしても、開けられないようです。とは言うものの、そうしてばかりにもいられず、どうにかして部屋に入りました。
娘の人柄はとても上品で、すらりと背が高く、こちらの方が気後れしてしまう程です。こんな無理強いのような関係ができたことを思うと、浅くはない縁を感じて愛おしくなって、娘への思いが募っていくことでしょう。普段は飽き飽きとする秋の長夜も、今宵はすぐに明けてしまった気がします。
「人には知られたくない」と思いますので、気がせいていながらも細々と約束の言葉を残して邸を去っていきます。
初夜の翌日の慣例の手紙をごくこっそりと送ります。さすがにロワールの紫上への呵責の念があるからでしょうか。在家僧の方でも「二人の関係を何とか外部に漏れないようにしよう」と気をつかって、手紙の使いを仰々しくもてなせないことを心苦しく思います。
こうしてその後は人目を避けながら、時々山手の邸に通います。
「場所が少し離れているので、自然とやんちゃで口さがない漁師の子供と行き違ってしまうのではないか」と訪れは控えがちになりますが、娘の方では「やはり、懸念していた通りだ」と思い歎いています。在家僧も「実際、どうなって行くことか」と天国へ行く祈りも怠って、ひたすら訪れを待つことだけに気をとられています。今さら心を乱してしまうのも、気の毒なことです。
シュノンソーの夫人が風評で娘との関係を漏れ聞いてしまったら、冗談にせよ、「隠し立てをしていたのだ」と思い悲しんでしまうようになるのは「心苦しく恥ずべきことだ」と思ってしまうのも、紫上に対する一途な恋心が消えていないからでしょう。
以前でも、こうした女性沙汰を起こすと、さすがに気にかけてヒカルを恨むことが折々ありましたが、「つまらない浮気ごとにふけって、苦労をかけてしまったことだ」と過去の過失を取り替えてみたい気がしながら、娘の様子を見ていながらも、紫上への恋しさを慰めようもありませんので、いつもより情細やかに手紙を書いて、隅の方に「正直な話、我ながら心にもない、いい加減な行いを起こして不快にさせてしまった時を思い出してしまうと胸が痛くなってしまうのですが、またもや不思議なはかない夢を見てしまいました。お尋ねがないのに、こんなことを告白しますのは、貴女と心の隔たりがないからだと理解してください。
(歌)忘れないと誓ったことを 背いたことはありません 聖山に住む聖人も分かってくれるでしょう
という歌のように信じていてください」などと書き添えました。
「何事につけても、
(歌)仮初にここで出逢った女性は 言うなれば漁師の気まぐれのようなものですが 貴女のことを思い出して
打ち萎れて泣いています
」ともありました。
紫上からの返信は、何気ないように愛らしく書いてありましたが、末尾に「隠しようがない夢物語を聞きますと、思い当たることが多くございます。
(歌)固い約束をしましたので 何の疑いもせずに信じておりました 波が浜辺の松の木を越えることがないように
心変わりがないことを願って
と鷹揚さの中に意味ありげにほのめかしていますので、さすがに可哀想になって手紙を手離すことができません。その後はしばらくの間、娘への夜の忍び訪問を控えてしまいます。
娘の方は「案の定、一時の慰め者にすぎなかったのだ」と今こそ、父親が以前から話しているように、本当に身を投げ入れたい心地がします。
「老い先が短い親だけを頼りにしていて、いつになっても人並みの幸福をつかめる身であるとは思いもしないままに、ただ何ということもなく過して来たこれまでの歳月は、これほど思い悩むことはなかった。世の中というものは、こうまで苦労が多いものだったのか」と覚悟していた以上にすべてが悲しくなりますが、たまさかの訪れでは穏やかにもてなして、不快を買わないように振舞っています。
月日が経っていくにつれて、ヒカルは娘を「愛しい」と思う気持ちも増していきますが、ロワールの大切な御方が、いつ自分が戻って来るのかを分からないまま、いわくありげにこちらの様子を案じていることだろう、と思うととても心苦しくなって、海辺の邸で独り寝がちに夜を過します。
色々と絵を描いて、そこに思いつくことを書き付けて、紫夫人に語りかけるように綴っていきます。それを見た人なら感動してしまいそうな出来栄えです。どうしてお互いの心が空を通い合うのでしょうか、シュノンソーの夫人もうら寂しさを慰めるすべがない折々は、同じように絵を描き集め、自分の日々の生活を日記のように書いていきます。
二人が描く絵日記の中味を見てみたいものですが、二人の行く末はどのようになるのでしょう。
8.ヒカル召還の宣旨、修道僧一家悲喜
九月のマリニャン(Marignan、Melegnano)の戦いで勝利をおさめて、ミラノ公国の奪還に成功した後、十月十三日にボローニャで行われたローマ教皇との会談(Traité de Viterbe)で教皇はフランス王国のミラノ公国支配を認定し、それを象徴するかのようにミラノ大画伯のフランス招聘も決まりました。朱雀王は病床に臥したままでしたが、巷では太政大臣亡き後の行方を懸念する声も消え失せて、朱雀王治世の評価が一気に高まりました。
ところが年が変わると王さまの病が重くなっていきます。世間でもあれこれ取り沙汰を始め、「ひょっとしたら朱雀王はお亡くなりになってしまうか、病気を理由に譲位をされるかもしれない」、「そうなると次期王はどなたになるだろう」といった噂話が飛び交い出します。
折から隣国のスペイン王国ではアラゴン王が崩御し、王位継承者の筆頭は神聖ローマ帝国の皇子に嫁いだファナ王女でした。王女は二男四女に恵まれ、カスティラ女王の称号を持つ母の死後、夫君と共にカスティラ王国を共同統治するようになりましたが、夫君が病死した前後から気がふれた兆候が目立つようになって幽閉状態が続いています。このため王女の長男で、叔母の白菊が神聖ローマ帝国の後継者としてネーデルランドで大事に育てて来た十六歳になるカール(Carl、Charles)皇子が母と共同統治をする形でアラゴン王国とカスティラ王国が合併したスペイン王国をカルロス一世として継ぐことになりました。神聖ローマ帝国とスペイン王国に挟まれたフランスにとっては両国の絆が深まることで脅威がさらに増していくことになります。
病床の王さまは「両国から板ばさみとなった難局を乗り切るには体力的に無理がある」と覚悟して行きます。王さまには身分が低い貴婦人が生んだ王女三人に加えて、メディチ家のアヤメ貴婦人が生んだ待望の王子が一人いました。今年満一歳になりますが、後継王とするには幼なすぎますので、つなぎとして今年九歳になる藤壺の子の冷泉王太子に王位を継がすのが妥当だろう。自分が身を引いて王太子に王位を譲った場合、公的な後見人として政務を執り仕切れる人物を検討していきますと、ヒカルが今の境遇で沈んでいることは非常に惜しく、あってはならないことですから、意を決して紫陽花王太后の諌めに背いて、ヒカルを赦免する意向を表明します。
三月に入って、待望のミラノ大画伯が雪のアルプスを乗り越えて無事にロワールに到着して、盛大な祝宴が催されました。大画伯は六十四歳が間近な高齢でしたが、アンボワーズ城に近い小城クロ・ルセ(Clos Lucé)があてがわれ、ミラノから同行した弟子たちや友人たちとの暮しを始めました。
王太后は昨年来の病に悩み続け、様々な悪い兆候が出て来て穏やかではありません。朱雀王は厳粛な祈祷を数々とさせます。ところが当の王さまも、一時は回復の兆しが出ていた眼の病がこの頃から重くなっていき、心細さが募っていきます。この状態では政治を采配することは難しいことを改めて悟ります。
八月に入って、スペインの新王との間でフランス王国がナポリ王国を断念する見返りにミラノ公国の支配を認めるノワイヨン条約(Traité de Noyon)が結ばれ、続いてローマ教皇との間でボローニャ政教条約(Concordat de Bologne)が締結されました。これを受けて、朱雀王は八月十八日過ぎに、正式にヒカルをロワールに戻す王令をくだしました。
「『いつになるかは分からないが、そのうちには』と思いながらも、世の中の定めなさを考慮するとどうなっていくことか」と溜息をつきながら毎日を過していたヒカルは、急な王令を受けて、嬉しさは一塩です。その一方で今を限りにこの浦を離れていくことが悲しくなります。修道僧も「いつかはこうなるもの」と承知していたものの、王令をちらっと耳にすると、さすがに胸が潰れる思いがします。それでも「ヒカル殿が思う存分に栄えてくださるなら、自分の願いも叶うというものだ」などと頭を切り替えます。
その頃になると、ヒカルは山手の邸に夜な夜な欠かさずに通って娘と語らい合っています。七月末が過ぎた頃から、娘は気分が悪くなって、妊娠の兆しで苦しんでいます。こんな風に別れることになってしまうと、「生憎なことに」といった心持ちになるのでしょうか、前よりも一塩愛着を覚えます。「不思議ではあるが、自分はいつも女性のことで思い悩む身なのだ」と思い乱れます。言うまでもなく、娘が思い沈んでいるのはもっともなことです。
「思っていた以上に悲しい旅路に出て来てしまったが、そのうちロワールに戻って行けるであろう」とヒカルは自分を慰めてきました。今回は嬉しい方での旅立ちとなりますが、「この地には二度と戻って来ることはないだろう」と思うと感慨無量になります。仕えている人々もそれぞれ身分相応に喜んでいます。出迎えの人々がロワールからやって来て、気分よさそうに新鮮な海の幸を満喫しています。
主人の在俗僧だけは涙にくれながら八月、九月がすぎていきました。秋半ばの身に沁みるような空の景色を眺めながら、「どうして自分は今も昔も、自ら求めてらちもない恋愛ごとで身をやつしてしまのだろう」とヒカルはあれこれと思い悩みます。娘との事情を承知している人々は「しょうがない。例の悪癖を出してしまわれたのだろう」と見きわめてぶつぶつ言っています。
「これまでは露ほどにも素振りを見せずに、人目を紛らわして通っていたのだろうが、最近は生憎にもかえって女を泣かせるようなものだ」と袖を引っぱり合ったりしています。かれこれ十二年ほど前に、オリヴィエがル・ピュイ・アン・ヴレイで自分から率先して、娘の話しをしたことなどをささやき合っているのを耳にすると、オリヴィエは平静ではいられません。
9.ヒカル、サン・ブリュー上と惜別、修行僧一家の悩乱
出発が明後日に近付いた頃、いつものように夜が更けない時刻に山手の邸を訪れました。それまではじっくりとは見ていなかった娘の容姿は良しありげに高貴な様子でしたから、「思いのほか、素晴らしい」と見捨てがたく、残念に思います。
「いずれ、しかるべき手はずをしてロワールに迎えよう」という気持ちになって、そんな風に語らいながら娘を慰めます。容貌や様子は改めて言うまでもなく、日頃の勤業でひどく面痩せがしているのが言いようがないほど立派に見えるヒカルが、心苦しい表情で涙ぐみながらしんみりと心をこめて、これからの約束をしますので、「これだけの幸せを受けるのであるから、これ以上、何を望みましょうか」とまで娘には思えます。立派すぎる相手を前にして自分の身の程を考えると、その違いが尽きない悲しみとなります。
秋風が吹いて、波音が一層格別に響きます。海藻を焼く煙がかすかにたなびき、何からなにまでひっくるめた感傷的な風景です。
(歌)この度は 一旦のお別れとなりますが 海藻を焼く煙が同じ方向になびくように
やがて貴女もロワールに来てもらいます
と詠みますと、
(返歌)漁師が海藻を掻き集めて焼く煙のように 悲しい思いがくすぶっておりますが 今は仕方がないことだと
恨んではおりません
しみじみと泣いて言葉も少なめなものの、こうした場面でのしかるべき返答などは情細やかに話します。いつも聞いてみたいと願っていたスピネットの音色を結局、聴かせてもらわなかったことをひどく恨みました。
「それではこちらから後の思い出になるように、一節でも弾くことにしましょう」とヒカルはロワールから持参して来たハープを海辺の邸に取りにやらせて、格別に風情がある一曲をほのかに掻き鳴らします。深夜の澄み切った空気の中でたとえようもない響きです。修道僧は堪えることができず、娘にスピネットを促します。娘もとめどもなく流れる涙に自然と誘われたように、ひっそりと弾きだしましたが、上品な貴女が奏でるようでした。藤壺が弾くスピネットの音色を「今の時代に類ないもの」と思い込んでいたのは、「当世風で誰が聞いても、お上手だ」と感銘させるところがあって、演者の器量さえ眼に浮ばせるように、まことにこの上もない音色だからでした。
これに対して娘の音色はあくまでも澄み切っているのが心憎いほどです。嫉妬してしまいそうになるほどの音色が勝っていました。ヒカルですら初めて味わう、哀れななつかしげな調べで、まだ聞き慣れない手法でもありましたが、物足りない程度で弾くのを止めてしまいました。飽き足らない思いをしながら、「これまでに、なぜ強いてでも弾かせなかったのだろう」と残念に感じます。熱のこもった心のまま、改めてこれから先の約束を誓います。
「私のこのハープは、再び二人で掻き合わせることができるまでの形見に」と差し出しました。
(歌)なおざりなお気持ちで 頼もしそうな言葉をかけておられるのでしょうか その言葉を信じて
尽きもしない泣き声を上げながら 貴方を偲んでおりましょう
と娘が言うともなく歌を口ずさむのをヒカルは恨みながら、
(返歌)再会までの形見として残す ハープの絃の調べのように 二人の愛情は変わらずにいましょう
この絃(いと)の調子が狂わないうちに再会しましょう」と期待させますが、娘がただただ別れの辛さを思って、むせび泣いているのも無理はありません。
出立の朝はまだ夜が深いうちに発ちますが、御迎えの人々が大勢でざわついている中、上の空の気分のまま、人のいない隙をみはからって歌を贈りました。
(歌)貴女を捨て置いて サン・ブリューを立っていきますが 私が去った後の浦波を見る
貴女の気持ちを思いやります
(返歌)この歳月 貴方が住み慣れた館も 去って行かれた後は荒れ果てていきましょう 返す浦波に乗って
我が身を海中に投じてしまいたい
と思いのままに詠んだ返歌を読むと、堪えようとしても涙がぽろぽろと流れてしまいます。
事情を知らない人たちは「こんな田舎の住居でも一年以上も住み馴れると、いよいよとなると愛着がわいて涙を流してしまうのだろう」と同情しています。
オリヴィエなどは「一通りではないほど、思いを寄せているのだろう」と憎らしく思います。お付きの者たちはロワールへの帰還が嬉しいものの、「本当に今日を限りにこの渚と別れることになってしまうのか」と悲しがって、しずくが垂れてしまうほど口々に惜しんでいますが、何もそこまで書いてしまうのも、と思いますので省きます。
10.修行僧の送別、ヒカルの帰京、参内と訪問
在家僧は今朝の出立に向けて、大層盛大な用意をしました。身分の低い者にまで見事な旅装の品々を贈りました。いつの間にそれほどの準備をしたのだろうと驚くほどです。ヒカルの旅装品は言うまでもなく、幾つもの衣裳箱を担ぐお供までつけています。ロワールへの本当の土産になるような贈り物まで趣向豊かで、気がつかないことは一つもありません。
その日にヒカルが着る予定の衣裳の上に娘からの手紙が置いてありました。
(歌)私が涙をこぼしながら 裁って縫い重ねた旅の衣裳は 涙で湿っていますので 嫌がられるかもしれませんが
と綴っているのを見て、取り込み中ではありましたが、
(返歌)それではお互いの形見として 衣裳を交換すことにしよう 再会するまで隔たってしまう 二人の仲の絆として
「折角の気持ちだから」と娘が縫った衣裳に着替えて、それまで着ていた衣装を娘に差し上げました。これこそ、娘がヒカルを隠れ偲ぶ気持ちに添える今一つの形見と言えましょう。衣服に沁みついた匂いこそ、相手の心に染み入るものですから。
「もう、世間を捨てた我が身ではありますが、今日の旅立ちのお供をできない事が残念で」などと修道僧は言いながら、べそをかいているのは気の毒ですが、それを見て若い者たちは笑い出してしまいそうです。
(歌)世の中をはかなんで この海辺に暮らす身となりましたが 娘がいるために 今なおこの浮世の岸から
離れることができずにいます
「子を思う心の闇で分別を失って、ますます迷ってしまいそうですが、せめて県境までお供を」と言ってから、「色めいた話かもしれませんが、娘のことを折々でも思い出していただけますなら」などとヒカルの顔を伺います。たまらずヒカルは別れを悲しく感じて、顔の所々を赤くしますが、目元の美しさは言いようがありません。
「懐妊のことなど思い捨てにできないこともありますから、早急に分かっていただけるようにします。それにして、この海辺の住居を見捨て難い気がします。どうしたらよいのでしょう」と言いながら
(歌)この歳月を暮らしてきた サン・ブリューの浦と別れる 秋の悲しみは ロワールを旅立った春の悲しみに
劣ることはありません
とヒカルが涙を拭いますので、修行僧は正気ではいられず、しょげかえってしまいます。立ち居もよろよろとなって、転げそうになります。
当の娘の胸の内はたとえようもないほどで、「こんな様子を人には見せまい」と思い沈んでいましたが、身分の不釣合いが別離の要因なので、どうしようもありません。サン・ブリューに捨てておかれてしまう恨みがやるせなく、ヒカルの面影がちらついて忘れ難く、せいぜいできることは涙に沈むことだけです。
母君も慰めようがなく、「どうしてこれほど気を揉むようなことを思いついてしまったのだろう。すべては、あのひねくれ者の言いなりになってしまった不用意からだった」とこぼしています。修道僧は「ああやかましい。思い捨てになることなどありはしない。何かお考えになっていることがあるようだ。気分を変えてハーブ茶でも飲んでいなさい。縁起でもないことを」と言いながら隅の方に引っ込んでいます。
乳母や母君などが口を合わせて偏屈者を批難しながら、「『何としてでも、いつかは願い通りになるのを見てみたいものだ』とそれをあてにして歳月を過して来ました。ようやくその思いが叶って頼もしく思っていたのに、しょっぱなからひどい目を見てしまうとは」と歎いているのを見ていますと、修道僧はもてあましてしまって、日中は終日、ぼけっとしながら寝ています。夜はしゃきっと起き出すものの、「数珠の置き場所すら分からなくなった」とこぼしながら、数珠なしで手をすり合せながら空を仰いでいます。弟子たちにも馬鹿にされて、月夜に戸外に出て修行をするものの、池の導水溝に落ち込んで風雅に配置された岩に腰を下ろし損ねて岩角に打ち付けてしまいました。痛みで臥してしまいましたが、その時だけは少しは気が紛れます。
ヒカルはロワール川河口のナントに着いてから、ブルターニュを離れるミサを執り行います。モン・サン・ミシェルへは使いを遣って、無事に色々な祈願が叶ったお礼参りをする旨を報告させました。今回は急にお供の人数が増えてしまったので、自ら参詣するのは不都合と判断したからです。
ナントからは特に名所見物をすることもなく、川船に乗ってロワールを上がって行きます。トゥール手前でロワール本流から右折してシェール川に入り、シュノンソーに到着すると、待ち受けていたロワールの人々もお供の人々も夢心地で抱き合い、話を交わしながら喜び泣きながら、尋常ではないほど騒ぎ立てています。
紫上も生き甲斐がないと思い捨てていた命を生き延びて、再会できたことがどんなに嬉しかったことでしょう。不在中に二十歳代に入って、とても美しく大人びていました。ものわずらいのせいか、うっとうしいほどフサフサしていた栗毛色の髪が少し減っていましたが、かえって風情があって美しく見えます。
「今日からはこうして逢っていられるのだ」と落ち着いていくにつれて、ヒカルはサン・ブリューの、あの飽かずに別れを悲しんだ娘が歎く様子を心苦しく思い起こします。やはり、世に流されながらもこんなことで心が休まる暇がない身のようです。女君にもサン・ブリューの娘のことを話したりしますが、その人の面影を思い出しているヒカルの気配がいい加減ではないように見えますので、紫上は「一通りのことではないのだ」と察したのでしょう、わざとらしくないように、
(歌)忘れさられてしまう 私の身はどうとも思いはしないものの 愛を誓い合った人に 神罰が下って
命を落としてしまうのは 惜しいことです
などと他人が詠んだ歌で、嫉妬心をほのめかしているのを、ヒカルはおかしく可愛く思いながら聞いています。「こうして見るだけでも飽きない人と、どうやってこの年月を離れて暮らせたのだろう」と浅ましい気分になって、今さらながら世の中がとても恨めしく感じます。
ほどなくヒカルは元の官位に復した上に、員外の官位三位の大納言(次席大臣挌)に昇格しました。ヒカルに仕える者も、しかるべき人々には皆、元の官位が戻され、世に復帰するようになって、枯れ木に春がめぐって来た心地になったことはめでたいことです。
王さまからのお召しがあって、ヒカルはブロワ王宮に上がりました。王城に着くと真っ先にアントワンが駆け寄って来て、ヒカルが贈った黒馬がアルプス越えで活躍した模様を嬉しそうに報告しました。
玉座の前でかしこまっているヒカルが歳を加えて立派になっているのを見て、王さまに仕える人たちは「あんなに住み辛い田舎で年月を送っていたのに」と驚いています。侍女たちの中で桐壺王の時代から仕えている年老いた者たちは嬉し涙で今さらながらに泣き騒いで褒めそやします。
朱雀王も気恥ずかしい思いがして、身なりをことさらに整えてお出ましになりました。ずっと病気がちに長い日々が続いたので、ひどく衰弱していますが、昨日、今日あたりは気分が少し良くなった気がします。二人がしめやかに語り合っていると、夜に入りました。十五夜の月が面白く、もの静かな中で、王さまは昔の出来事をぽつりぽつりと思い出しながら、王様は涙で袖を濡らします。あの春の大嵐の最中、桐壺院が夢に現れたことも語ります。何となく心細いのでしょう。
「最近は管弦の遊びなどもせず、昔聞いた貴方のハープの音なども聞かなくなってから久しくなりますね」と王様がこぼします。
(歌)ブルターニュの海辺に沈んで 打ち萎れた侘しい思いのまま
三年が経っても足が立たない蛭子のように過してきました
とヒカルが歌で答えますと、さすがに可哀想で、自分の落度も恥かしく思し召して、
(返歌)こうやって 王城で再会できる時がやって来たのだから お別れした春の恨みは 忘れ去ってもらいたい
と、とても優美な様子で応答しました。
故桐壺院の追善供養に向けた聖書八書講の実施を急がせねば、と思いながら、ヒカルは王城の別館に住む冷泉王太子を訪ねますと、すっかり大きくなって、再会を珍しがって大喜びするのを、我が子であることも思い起こして、感慨深い思いで見つめます。学才も優秀で、世の中の治世にはばかりがないような賢明さが見えます。少し日が経って、心も落ち着いた頃、修道女の藤壺邸を訪問しますが、さぞかししんみりとして話しがあったことでしょう。
そうした中、ロワールまで見送りのお供として付いて来た者が帰還するのに合わせて、サン・ブリューの君宛ての手紙を託しました。紫夫人の目を避けながら、情愛細やかに書いてあります。
「波の寄せ具合はいかがでしょうか。
(歌)嘆きながら過されている サン・ブリューの浦に立つ朝霧は 私の嘆きの息だと 思いやっているでしょうか
あのアキテーヌ州知事の娘の舞姫モニクは人知れずお慕い続けているのですが、ヒカルの帰還を知って、どうにもならない物思いが解消した心地がして、恋文を使いに持たせて、目配りをさせるだけで置いてこさせました。
(歌)あのサン・マロの港で お手紙を差し上げた舟人が その後も貴方を思い続けて 涙で朽ちてしまった袖を
お見せしたく
筆跡を見て、誰からの手紙なのかを見抜いたヒカルは「字が以前より上手になったな」と感心しながら返信します。
(返歌)貴女が寄せた恋の波に 濡れた袖が 中々乾きませんので かえってこちらから 愚痴を言いたいくらいです
「一頃は随分惚れこんだ女性だった」との思いが残っていましたから、モニクからの誘いに驚きながらも未練がわきますが、この頃はそうした不謹慎な振る舞いは慎んでいます。
リヨンの花散里へは、ただ手紙を送るだけで訪問することはありませんので、花散里は待ち遠しくて、かえって恨めしくしています。
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