その46.椎(しい)が本 カオル ( 二十一歳~二十二歳 )
1.ニオイ卿のルーアン詣でと夕霧の別荘での中宿り (カオル 二十一歳)
一月にローマ教皇の救済とナポリ王国の奪還を目標として、ロラン大将が率いるフランス軍がイタリアへ進攻したことにより、スペイン王国との第六次戦役が始まりました。戦場から遠い首都パリは平穏で、世間の人々は桐壷王が一時的に手中にしたナポリ再奪還の朗報を心待ちにしていました。
ニオイ兵部卿は三月の二十日頃、ルーアンの大聖堂詣でに船で向かいました。表向きはナポリ再奪還祈願ということですが、セーヌ川下りの途中にあるコンフランでの中宿りに心が引かれているのが本音のようでした。コンフランはかって詩人が(歌)私の庵は 都の北西の鹿が住むような所にある 憂き里だと世間の人々が言っているようだ と詠んだ場所ですが、ニオイ卿がすっかり親近感を持っているのは、カオルから聞いた第八卿の二人の女君がいる地だという、他愛もない理由からでしょう。とはいえ、大勢の高官がお供をしているだけでなく、パリに残った者は少ないと思えるほどのお供の数でした。
コンフランとオワーズ川を挟んだ対岸のアンドルジー(Andresy)には、ヒカルの遺産として夕霧大臣が所有する広大で景観の良い敷地の別荘があり、ルーアンとの往き返りの接待所が設けられました。ルーアンからの帰途には夕霧大臣も迎えにあがるつもりでしたが、イタリア遠征軍の不在中は元帥として首都に留まっている必要があり、さらに占星術師から謹慎すべき日にあたることが告げられたため、アンドルジーに行けない旨の連絡がありました。「興がそがれることだ」と兵部卿は感じたものの、折よくカオル中将が迎えにきたので、かえって気が楽になり、第八卿の住まいとの交信がやり易くなった」と一安心しました。兵部卿は夕霧大臣を打ち解けにくく煙たい存在に思っていました。それでも夕霧の官位四位か五位の息子たちである、雲井雁が生んだ三男(右大辨)マルタン・四男(侍従の宰相)フレデリック・六男(蔵人の兵衛の佐)、エレーヌが生んだ次男(権中将)アラン・五男(頭の少将)ジョセフなどが皆、パリからお供をしていました。
安梨王もサンブリュー王妃もとりわけニオイ卿を可愛がっているので、世間の人たちの信望も並々ではなく、ましてヒカル一門の人々は末端に至るまで、皆が自分たちの主人のように、ニオイ卿を尊重して仕えていました。セーヌ川を見晴らす別荘の座敷は、土地柄にふさわしい設営がされていて、お供の人々はチェスや雙六などの盤を取り出して、思い思いに興じていました。
船旅に馴れていないニオイ卿はくたびれてしまっていて、ここで泊まっていこうとの思惑も強かったこともあって、ゆっくり休んでいましたが、夕刻になってハープなどを出させて興じました。いつものことですが、オワーズ川がセーヌ本流に合流する地点では、水の音も引き立て役になって、楽の音色がひときわ澄み渡って行きます。音色は追い風に乗って、対岸の第八卿の住まいにも響いて行ったので、第八卿は昔のことを思い出しました。
「大層美しく笛を吹き通しているが、誰が吹いているのだろう。その昔、ヒカル殿が吹いた笛の音はとても綺麗に愛嬌づいていたが、この笛の音は澄み上がっている中に、重厚さが添っているのは、アントワン太政大臣一族の笛の音色に似たところがある」と独り言を漏らしていました。
「それにしても、あれから久しい年月が過ぎた。このような音楽の遊びなどもせずに、生きているとも言えない状態で過ごして来た年月が、さすがに多く積もってしまったのは不甲斐ないことだった」などと言いながら、改めて女君二人の清心な様子を見るにつけ、「こんな山里に埋もれさせてしまうのは言うまでもなく遺憾なことだ」と思い続けていました。
「同じことならカオル宰相の君を婿にして縁者としてみたいものだが、当の本人はそんなことを思い寄ってもいないだろう。ましてや、今どきの軽薄な男などは相手に出来ない」と思い悩みながら、ぽつねんと外を眺めては明けそうにもない春の夜を長く感じていました。
遊びに打ち興じる旅の宿では、酒の酔いに紛れて夜がとても早く明けてしまう気がして、ニオイ卿もパリに帰って行くのを物足らなく思っていました。はるばると遠くまで霞渡っている空には、「散る桜もあれば、今から開く桜もある」など、様々な色が見渡されますが、ことに川沿いの柳が風に靡いて起き臥しする水影など、並々ならぬ風情を見馴れていない人たちは、「まことに珍しく見捨てがたいものだ」と感嘆していました。
カオル宰相は「この機会をやり逃さずに、第八卿の邸に行きたいものだ」と思うものの、「大勢の人目を避けて、一人だけで舟を漕いで対岸に行くのは軽率に見られてしまう」とためらっていると、第八卿からカオル宛てに便りが来ました。
(歌)丘の風に乗って 霞を吹き分ける笛の音が聞えて来るが 川の白波がこちらと隔てているように思われる
と、フランス語の崩し体で美しく書かれていました。
「手紙はあそこの卿からだろう」と察したニオイ卿は興味が湧いたのか、「返信は私が書こう」と言い出しました。
(歌)そちらの岸とこちらの岸を 波が隔てていても やはりコンフランの川風は 吹き通していって欲しい
そこでカオル中将は第八卿邸に向かうことにしました。管絃の遊びを愛好する公達を誘って、船内で四人舞「酒に酔いながら」を合奏しながら進みました。オワーズ川に臨んだ回廊に付けつけた階段の趣向など、第八卿が親王らしい工夫を凝らしている邸内に気を遣いながら、下船しました。邸内もパリとは様子が違っていて、山里めいて細木を組んだだけの垣根など、ことさら簡素にしながらも、来客を迎えるべく見所のある飾りつけの趣向を凝らして準備されていました。
楽器類も、古くからある二つとない弦楽器がわざとらしくないように置かれていました。公達は名品を次々に手に取って、流行り歌「桜人」を演奏ました。「この機会に主人公の第八卿のハープをお聞きしたい」と誰もが望みました。卿はさりげなく他の者の演奏に合わせて、時折りリュートを掻き合わせるだけでしたが、それでも若者たちは聴き慣れないせいか、大層深みがあって趣深いと感じたようです。
土地柄に相応しい風味豊かな饗応が提供されました。予想外のことに、王族の血筋を引く、素性が賤しくもない多くの人たちや、王族としては最下位にあたる官位四位の年配者など、かねてから第八卿に同情していた者が、「こうした賓客がある場合は」とこぞって接待役に集まっていました。ワイン瓶を手にした者もこざっぱりしていて、ある種の古風な由緒ありげなもてなしをしました。
客人たちの中には、二人の女君が住んでいる様子を思いやりながら、心を悩ませている者もいたことでしょう。それ以上に川の対岸に入るニオイ卿は、軽々しく動けない身分であることを窮屈に感じていました。「せめてこの機会に」とたまらなくなったのか、綺麗に咲いている花の枝を折らせて、お供に控えている可愛らしい姿の童子を使いにして、手紙を添えて女君に贈りました。
「(歌)山桜が匂っている辺りを尋ねて来て 貴女が頭に刺しているのと同じ花を折ってみました
(歌)春の野にスミレを摘みにやって来た私は この野原が気に入って一晩寝てしまった といった歌もありますが」と書かれていたようです。
ジュヌヴィエーヴとマドレーヌの二人は、「どういたしましょう」と返信がし辛く、当惑しました。「こうした場合にわざとらしくもったいぶって、時間をかけすぎてしまうのは良くありません」と老侍女たちが忠告するので、姉は妹のマドレーヌに返信を書かせました。
(歌)春の旅人が こんな山里の家を通り過ぎてしまわないのは ただ頭にかざす花を折りたいからなのでしょう
「わざわざ野を分け入ってお越し下さったわけでもないでしょうに」とマドレーヌはとても上品に美しく書きました。
何といっても川風が何の隔てもなく吹き通すので、こちらの岸でもあちらの岸でも、楽の音を響かせて楽しく遊びました。すると安梨王の指示で、イタリア遠征中のロラン大将に代わって、弟フェリックスが迎えに来ました。一堂は船に乗り移って、遊びの続きを騒がしくしながらパリに戻りましたが、ニオイ卿は「いずれまた、よい折を見て」と思っていました。パリへの道中も花盛りで、四方の霞の眺めも見所があるので、船上の人々はラテン語やフランス語で多くの詩を詠みましたが、面倒なので詮索はしません。
ニオイ卿は何かと慌ただしくて、思うように手紙を書けなかったのが心残りで、人の手引きがなくても手紙を常に送るようになりました。第八卿も「やはり返事は差し上げなさい。だが色恋沙汰のようには書かないでおきなさい。後になって気がもめる種になりかれないからね。非常に女性好きの親王ということだから、『こんな女性がいる』と聞くと、何ということもなく気まぐれな手紙を送るのだろう」と促すので、マドレーヌが書くことになりました。姉のジュヌヴィエーヴはこうしたことは冗談事でも関心を持たない思慮深さがありました。
いつということもなく、心細い山荘ですが、(歌)霞がこもった山里で 花を待ちわびている春の所在なさを 思いやって欲しい といったように、ますます暮らしがたい物思いに沈んでいました。二人は段々と大人になって行くにつれて、容姿も器量もますます美しく、申し分ないほどになって行くので、父卿は「いっそのこと、不器量でいてくれたなら、『清新で惜しい存在だ』といった男の思いは薄らぐのだろうが」などと、明け暮れ胸を痛めていました。ジュヌヴィエーヴは二十四歳、マドレーヌは二十二歳になっていました。
2.カオルの訪問。第八卿の修道院への参籠と姉妹への訓戒と他界 (カオル 二十一歳)
第八卿は重く身を慎む必要がある、六十歳初頭の厄年を迎えました。何となく頼りない思いのまま、いつもよりも勤行を怠らずにいました。元から現世への未練はなく、天国に至る道の修道にすぐにでも専念したいのですが、二人の女君の行く末が気になってなりません。仕えている侍女たちも「信仰心は限りなく深いのですが、いざ浮世を捨てるとなると、必ず取り乱すことでしょう」と推察していました。
「希望するほどではないものの、世間体も悪くなく、これなら譲ってもよいと考えられる男が現れて、『真心をこめてお世話いたします』と言ってくるなら、知らぬ顔をして黙認することにしよう。二人のうち、どちらかに縁が出来て伴侶を見つけてくれたなら、もう一人の方の面倒を見てくれるだろう」と第八卿は考えていますが、そこまで真剣に言い寄ってくる男もいません。
たまにはちょっとしたきっかけで、色めいたことを言ってくる者や、あるいは若い男の気まぐれから参詣の中宿りや旅の道すがらの慰みに、いい加減な戯れ言を投げて来たりしますが、世間から忘れられた邸の様子を見て、軽んじた交渉を切り出す者もいますが、第八卿はろくな返答をさせずにいました。そうした中で、ニオイ卿は「どうしても逢わずにいられようか」との思いを深めています。これも何かの約束事があったからでしょうか。
カオルは秋に正式に宰相中将から中納言に昇進することになり、ますます華やかさが増していきます。しかし官位が上がっても、内心では物思いをすることが多くありました。「自分の出生にはどういった経緯があったのだろう」と気にかかっていた頃よりも、真相を知った今は、いたわしくも他界した実父のことを思いやると、何とか実父の罪が軽くなるように勤行をしたい思いになります。老いたベネディクトを不憫な者に感じて、表立ってではなく、何かに紛らわせて情をかけていました。
そうした最中、スペイン連合軍がピカルディに侵攻して来ました。夕霧元帥軍が反撃に向かいましたが、大敗した上に夕霧自身が捕虜となってしまい、「パリにまで攻め込まれてしまったら」とのルーブル王宮の危機感にカオルも巻き込まれてしまいました。救援にロラン大将がイタリアから急遽駆けつける目算がついた頃、ふとコンフランに久しくご無沙汰していることを思い出して、第八卿邸に行くことにしました。
季節は八月末の頃になっていました。パリではまだ秋の気配はありませんが、アルジャントゥイユ(Argenteuil)を過ぎて丘陵に入ると、風の音もごく冷ややかに吹くようになって、杉など常緑樹が茂る山辺もわずかに色づき出しているので、さらに奥深く分け入っていくのが楽しく珍しい思いがしました。
第八卿はいつもに増して、待ち喜んで迎えました。世捨て人のような生活をしながらも、さすがにスペイン軍接近の噂を耳にしているのでしょうか、いつもより心細げに多くのことを話しました。
「私が亡くなった後も、何かの折には娘たちを尋ねて来て、見捨てないようにしてくれたら」とそれとなく意中を伝えました。「それについては、以前にも少し承っておりますから、決して疎かには考えてはおりません。私はこの世に未練は残さないと考えて、人付き合いは少なめにしていますし、何事においても立身出世も期待しておらず、先行きも短いことでしょう。それでもそれなりに生き長らえている限りは、女君に対して変わらぬ志をお見せしたいと思っております」とのカオルの返答に第八卿は嬉しそうでした。
夜が深まってから昇る月が明るく射し出しながら、丘の端に沈みそうにしている中、第八卿はしみじみと祈りを唱えながら、長い話を続けました。
「近頃の世の中は、どういう具合になってしまったのだろう。かってはこうした秋の夜の月下での王宮の遊宴の折りには、仕えている者の中の名手とか上手とか言われる限りの者が合奏したものだ。とは言うものの、そうした仰々しい合奏よりも、芸の道に嗜みがある貴婦人がたが、それぞれ競い合う気持ちがあるのに上辺は睦まじくし合っている中で、夜が更けて辺りが静まった時分に、悩み深い風情で楽器を調べ出して、その音色がかすかに漏れてくる、というのがかえって聴き所が多いものだった。
何につけても、女性は遊び事の相手にするのに都合がよく、何となく頼りなさげに男の心を動かしてしまう原因になってしまう。それだから女は罪が深いとされているのだろうか。子供の先行きを案じる親にとっても、男の子なら大して心を乱すことはないだろうが、女の子だと運命に限りがあるので、どうしようもないと諦めたとしても、やはり気にかかって仕方ない」などと世間話のように話しますが、カオルには二人の女君のことをどんなにか心配しているのか、その心中が理解出来ました。
「私はすべてのことに執着心を持たないような心持で生きて来たせいか、どのようなことも深く身に着けたものはありません。ただ、つまらないことでしょうが、音楽を愛好する気持ちだけは思い捨てるわけにはいきません。イエス・キリストのあの賢明な使徒トマスもやはりそんな気持ちで楽器の音を聞いて、立ち上がって舞ったのでしょう」などとカオルは言いつつ、名残り惜しいことに一節だけ聞いたハープとリュートの調べをしきりに希望しました。
「これが親しくなってくれるきっかけにでもなってくれたら」と思ったのでしょう、第八卿自ら二人がいる部屋へ行って、「是非とも弾いてみなさい」と勧めましたので、ジュヌヴィエーヴがスピネットをほんの少し弾き鳴らしたものの、すぐに止めてしまいました。とても静かで、人の気配もなく、しんみりした空の様子や場所柄の中で、ことさらでもなく奏でる音色にカオルは引き入れられて、興味深く思っていましたが、どうやったら姉妹と合奏ができることでしょう。
「こうやって二人と引き合わせたのだから、後は若い者同士に任せることにしよう」と父卿はキリスト像のある部屋に入って行きました。
「(歌)私が亡くなって この草の庵が荒れてしまっても 約束された貴殿の一言は 守ってくれると思っている
貴殿との対面もこれが最後になりはしないか、といった物寂しさに堪えかねて、見苦しい愚痴を沢山こぼしてしまう」と第八卿は涙を浮かべました
(返歌)どのような世の中になったとしても 末長い約束を結んだ草の庵を 見捨てることはありません
と客人は返歌を詠んで、「スペイン軍の侵入などの緊急事態が一段落しましたら、また伺います」と伝えました。
カオルは別室に行って、あの昔話を語ってくれたベネディクトを呼び出して、聞き漏らした話の続きをさせました。落ちて行く月が明るく射し込んで来たので、内カーテンの奥にいる姉妹にはカオルの優美な透き影が見えました。カオルが普通にいる求愛者のような口説き文句ではなく、心に深く染みる話を物静かに話すので、次第にジュヌヴィエーヴは返答をするようになりました。
「ニオイ卿が二人にとても心が引かれているのだが」とカオルは心中で思い出しながら、「それなのにどうして自分はこうした機会がありながら、普通の人とは違っているのだろうか。あそこまで父卿が心から許しを公言したのに、それほど急いで自分のものにしようともしないとは。父卿の意向に反して女君を妻にするのはありえないことだと、さすがに思っているわけでもない。こうやって女君と会話をし、季節折々の花や木の葉の移り変わりなどの風物について、しみじみと情を交わし合う、といった感じであれば良い。それでも自分とは縁がなく、他の男のものになってしまったら、さすがに口惜しいことだろう」とカオルはすでにジュヌヴィエーヴが自分のものになっている気持ちがしました。
カオルはまだ夜が明けきらないうちに帰途につきました。余命が少ないことを心細く案じている第八卿の様子を思い出しつつ、「とにかくスペイン軍との騒動が落ち着いてから、訪ねて来よう」と思っていました。
ニオイ兵部卿も「この秋のうちに紅葉を見に行きがてら寄ってみよう」と適当な機会を伺っていました。恋文は絶えず送っていました。姉妹の方は「ニオイ卿が本気で思っている」とは思いも寄らないので、煩わしいとも感じないまま、その折々に何ということもない返信をしていました。
秋が段々と深まって行くにつれ、第八卿は言いようもない心細さを感じて、いつもの静かなモウブイソン修道院で何事にも邪魔をされずに祈りに専念したい」と判断して、二人の女君にしかるべきことを話しました。
「この世の習いとして、死に別れは逃れることが出来ないものだが、側で思い慰めてくれる者がいたら、悲しみにも打ち勝つことが出来る。誰と言って見守ってくれる人もおらずに、頼りない様子の二人を見捨てて行くというのは誠に辛いことだ。けれども、そのくらいのことに妨げられて、長い人生の闇に惑わされてしまうのはつまらないことです。これまで側にいて二人を見守って来たが、現世のことは諦めていた。私が亡くなってしまった後、二人がどうなっていくのか知っているわけではないが、亡き母上の面子も考慮して軽率な行動は起こさないで欲しい。
並一通りの相手でもないのに、男の口車にうっかり乗せられて、この山里を離れるようなことはしないで欲しい。ただ、『自分はこうしたように、人とは違った星の下で生れて来た身だ』と覚悟して、『この地で一生を終えるのだ』と考えてください。その決意さえすれば、何事もなく年月が過ぎて行く。まして女である貴女がたはそれなりにひっそりと引き籠っているなら、みっともなく気の毒がられてしまったり、悪口も非難もされずに済みます」などと諭しました。
二人はともかく自分たちの身がどうなっていくのか、といったことは考えも及ばず、「父上に先立たれてしまったら、自分たちもどうして片時でも生きながらえていけるのだろうか」とだけを考えて、父卿の心細い予測をたまらなく思い嘆いていました。第八卿にとっては胸中では現世を諦めているものの、明け暮れ二人の娘と暮らし慣れていたのに、急に修道院に別れ住むことになったがための辛い気持ちから出た言葉でしたが、二人が恨めしく感じている様子はもっともなことでした。
明日にでもモウブイソン修道院に籠ろうという日は、いつもと違って第八卿は邸内のあちらこちらを立ち止まっては眺めていました。ほんの一時的な仮りの宿のつもりだったのに、いつしか年月を過ごして来た住まいの様子でしたが、「自分が死んだ後、若い二人は世間から引き籠ってどうやって暮らしていくのだろうか」と涙ぐみながら祈る姿はとても清らかなものでした。
年配の侍女たちを呼び集めて、「私がいなくとも、二人が安心して過ごせるように仕えてくれ。何にせよ、元々身分が軽く、世間の噂にもならない分際の者ならば、子孫が零落していくのは常にあることで目立ちもしない。しかし私どものような身分になると、世間の人は何とも思わないとしても、みじめな有様で落ちぶれていってしまったなら、先祖に対して申し訳ないし、困ったことが多く出て来てしまう。物寂しく心細い暮らしをするのは普通にあることだが、自分が生まれた家の格式を落とさずに、王族の一人としての心構えを保って行くなら、人に聞かれても体裁が良く、自分の気持ちとしても罪にはならないと考えている。幾ら人並みの賑やかで派手な生活をしたいと思っていても、その気持ちが実現しない時節もあるのだから、決して軽はずみに良くもない縁を取り持つようなことはしないで欲しい」と言い聞かせました。
翌日は早朝に邸を出ることにして、第八卿は二人がいる部屋に出向きました。
「私が留守をしている間、あまり心細く寂しがらないでいなさい。心持ちだけはほがらかにして、音楽の遊びなどをしていなさい。何事も思い通りにならない世の中なのだから、悲観しないでいなさい」と後ろを振り返りながら邸を出ていきました。
二人は一層物寂しくなって、物思いばかりを募らせては、寝ても覚めても一緒に語り合いながら、「どちらか一方がいなくなってしまったら、どうして毎日を暮らしていけることでしょう」、「今日もこれからもはっきりしない世の中ですから、万が一、別れることがあったなら」などと泣いたり笑ったりして、遊びごとでも実生活のことでも、お互いに同じ気持ちになって慰め合いながら過ごしました。
「修道院での勤行三昧も今日で終わりとなる。いつ戻って来られるのだろう」と心待ちにしている夕暮れ時、モウブイソン修道院から使いが来ました。
「今朝から気分がすぐれなくなって、邸に戻ることが出来ない。風邪をひいたのかと手当をしている。それにしても、いつも以上に二人に出逢うのが待ち遠しい」との伝言でした。姉妹は胸を潰して、「どうしたことだろう」と心配になって、急いで綿を厚く入れた服などを準備させて届けましたが、二三日が過ぎても戻って来ないので、「お加減はいかがでしょうか」と度々使いを差し向けました。「取り立ててひどく悪いというわけではないが、何となく苦しい状態です。少しでも良くなったら戻るつもりで安静にしている」との卿からの言付けでした。
第八卿には導師がずっと付き添っていました。「大して重い病には見えませんが、これが寿命の最期になるかもしれません。二人の娘さんの将来については何の心配もありません。人にはそれぞれの運命がありますので、ご心配なさっても何にもなりません」と導師は二人への執着心から離れるように諭しながら、「今になっては修道院から去らない方が」と第八卿と忠告しました。
九月十二日の頃でした。一帯の空の景色も物悲しげな頃おい、ジュヌヴィエーヴとマドレーヌは(歌)雁がやって来る 峰にかかる朝霧のように 晴れることもない この世の憂い といったように朝と夕刻の霧が晴れる間もなく、思い嘆きつつ案じ暮らしていました。有明の月がとても明るく差し出て、セーヌ川の水面が鮮やかに澄んでいるので、川に向いているよろい戸を上げさせて見やっていました。修道院の鐘の音がかすかに響いて来たので、「夜が明けたようだ」と思っていると、使いの者がやって来て、「夜半にお亡くなりになりました」と泣く泣く伝えました。
「父上はどうしておられるのか」とずっと心から心配し続けていたものの、突然の崩御の知らせを聞いて嘆かわしく、何も分からない心地になりました。こうした場合は涙すらどこかに行ってしまうようです。二人はただうち伏しているだけでした。死別という並々ならぬ悲しい事でも、臨終に立ち会って名残を惜しむのが普通のことですが、それすら出来なかった心残りも加わって、思い嘆くのはもっともなことでした。
「父上に遅れをとってしまった後でも、しばらくの間は生きていよう」とは考えてもいなかった二人でしたから、「どうやって後を追っていこうか」と泣き沈んでいるものの、こればかりは定められた命ですから仕方ありません。
ずっと以前から、第八卿は導師に遺言を伝えていたので、導師が死後の葬送を万事取り仕切りました。「亡き人になってしまった姿・様子だけでも、もう一度拝見したい」と二人は切望しましたが、「今さらそのような必要はありません。病床におられる間も、もうお二人には会わない方が良いと諭しておりました。今はそれ以上にお互いに執着心を留めない心構えに馴れなければいけません」と導師は話すだけでした。
二人は導師から、父卿の病床での様子を聞きながらも、あまりに悟り澄ました聖心を「憎らしいほど辛い」とだけ感じていました。修道の道に入りたい第八卿の本意はかねてから深くありましたが、二人の女君を代わって見守ってくれる人もいずに、見捨てがたいまま生き長らえている限りは、ずっとつかず離れずに面倒を見ていました。それがやるせなく侘しい生活の慰めと考えて、二人と離れがたく過ごしていたのに、死の道へ先立ってしまったので、父上を慕う気持ちは思うに任せられないものでした。
カオル中納言は訃報を聞いて、どうしようもない口惜しさを覚えて、もう一度心静かに話したかったことが多く残っている気持ちがして、人生の無常を痛感しながら、しみじみと涙を流しました。「もう出逢うことは難しいかもしれない」と言いながらも、「朝夕の隔ても分からない世の中のはかなさをいつも心中で人一倍感じている」との第八卿の言葉が耳馴れていたので、(歌)いずれは進んで行く道とは かねてから聞いてはいたが 昨日今日とは 思ってもいなかった といった歌のように、返す返す諦めきれずに悲しい思いでいました。
カオルは導師宛てにもコンフランの二人宛てにも、細やかな弔問をしました。こうした弔問をカオルの他には送ってくる人すらいない有様なので、二人はこれからどうしたらよいのか分からない心地の中で、日頃からのカオルの心映えを深く思い知りました。
「世間の普通の親子の死別でさえ、その人の身になってみれば、またとない悲しみのように誰もが思い惑っているのだから、頼りにする人もいない身の上の二人はどんな気持ちでいるのだろうか」とカオルは思いやりながら、死後の供養のことなど、なすべきことなどを推し量って、導師に心づけをしました。コンフランにも例のベネディクト宛てとして、祈祷の手配などの配慮をしました。
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